言葉と発音

 まずはこれをご覧いただきたい。

 普段何気なく使っている言葉を改めて分析し理解し再構築して外に出す、という作業は、難聴であるなしに関係なく、錬金術師の末裔たる演奏家にとっては何より大事な作業である。

 今回彼女は「」について語尾音・語中音・開口音・閉口音・有声子音・無声子音などに分けて説明しているが、母音すべてに関しても同様の事が言える。「あ」一つとっても、英語の発音記号でも解るように、前後の音によっていくつかの異なる「あ」が存在することは、日本語とて同様である。


 さて演奏に於いては、喋る時と歌う時の息の使い方の違い、舌の位置など、細かく分析すれば何通りにもなるが、特に日本の音楽教育現場に於いて、西洋音楽から入り西洋音楽こそ真の音楽であるかのように教育され成長するので、我々演奏家でも西洋歌曲の発音方法のまま日本歌曲を歌う楽しい御仁が数多く存在する。更に言うと、西洋音楽を歌う際には発音を事細かく突っ込まれるのに、何故日本歌曲を歌う際にはそこは一切スルーされるか。

 例えば、

" Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund! "
(シラー作、ベートホーフェン*交響曲「第九」合唱部分)

は口語読みでは

ィヤー ヴェール アゥフ ヌール アィネ ゼーレ
 ザイン ネント アゥフ デム エールデンルント

が歌唱時には

ィヤー ヴィール アゥフ ヌール アィネ ズィーレ
 ザイン ネント アゥフ ディム イールデンルント

となる。寧ろこう歌えとなるわけで、特にイタリア歌曲に至っては単語よりもいかにその「音」が綺麗に聴こえるかによって発音は特に「a」⇔「o」で平気で可変する。喉頭の広い西洋人ならではと言えなくもない。

 ところが日本には子音を立てる文化もなければ、西洋人より骨格的に咽喉も狭い。「ゆうやけこやけのあかとんぼ」は「ゆうやけこやけのあかとんぼ」でしかなく、これを西洋風特にイタリア歌曲風に歌ってしまうと「よーよ-けこよかーの おことんぼー」…なんじゃそりゃΣ(゚Д゚)。これこそ日本歌曲が邪険にされてきた所以と言える。今でこそかなり理解され日の目を見るようになってきたが、小生学生時代、自国の誇りであり宝であり遺産である日本歌曲の扱いひいては日本伝統音楽そのものの扱いに至っては、それはそれは誠に酷いものであった。哀しい哉、西洋カブレの一端であろうか。

 詰まる所、日本語が母国語として使い慣れ過ぎているからこそ、灯台下暗しとなっているに他ならない。寧ろだからこそ今一度、普段使っている言葉はどうやって発音しているのか、歌う時はその言葉がどのように変化しているか或いはしていないか、その発音を生かした上でいかにして楽音としていい音声が出せるか、を自分の身体を省みながら逐一確認していく作業が必要になってくる。今どこの筋肉を使っているのか、今息はどのくらい出ているのか、舌はどこでどんな形をしているのか。普段まずそんなこと考えて喋らんだろうからこそ、気にしながら言葉を話してみるというのは日本語を再考する上でも有意義であると思う。

 小生、普段から人並に普通に声の出せぬ身体ゆゑ、特に最近そういう作業が必須且つ有効になってきて、その必要性をつくづく実感している今日此の頃である。


 結局、自分の声をよく聴き、見て、直し、また聴いては直し、を繰り返していくことで、自分のクセを改め良い声を出す方法を自分の身体で覚えていく以外、他者からどうせぇこうせぇと言われたとて100%伝わるものでもないし、なかなか難しいものである。


 結局は己との対話。己との問答。禅の世界ですな。理解・分解・再構築。大いなる作業である。




*ベートホーフェンとは、日本でベートーヴェンと呼ばれておるあの人である。
本来 BeethovenBeet-ho-ven となりドイツ語では [v] は [f] と発音するので、恐らくベートホーフェン(若しくはビートホーフェン)が現地読みに近かろう。
まぁ「stick」がステッキになったような時代と国ですからなぁ( ̄▽ ̄;)。その空耳アワー的能力にも感嘆せんではないが。


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