音楽家と数学脳



 たまには演奏家として真面目なお話を、マジメにしてみても宜しかろ?


 先日、とあるブロガーさんご紹介の本に興味を示し、是非読んでみんと図書館にでもめっさ久々に行こうかなぁと思い立った。まずはどんな書かちょっくら検索してみんとすれば、我らが殿ことビートたけし氏絶賛の愛蔵書であるというではないか。ならば是非とも傍に置かんと、すぐさま買い求めた次第。

 そう言えば以前何かの番組で、殿の誕生日に軍団でプレゼントすることになって、絶対殿が喜びそうだからと自信満々でこの本を渡したら、「それ、オレもう持ってるよ」「…ですよねぇ~~」なんてみんなで笑っちゃった、ってエピソードを紹介していた。「その本はどうされたんですか?」「自分の本は書き込みが一杯だからキレイなのもらっとくよ、って受け取ってくれました」って。いい師弟関係だなぁ~たけしさん優しいなぁ~素敵やなぁ~とほっこりした記憶がある。そうか、この本であったか。

 ツワモノの読書家とて簡単に読破出来ぬような嫌がらせレベル(?)に膨大な知識量と文字量(然しながら相当面白い一冊であろうことは、殿のお墨付きであることからも伺える)の書であるらしく、勿論手元に届いたばかりで読破のドの字にも未だ至ってはおらぬ。

 そんな訳で何故かとりあへず、音楽と数学に関しての思い出話を徒然にと思うた次第。

 古本ゆゑ表紙は汚いが、中身に影響はせぬ。興味持ったついでに、同著者の別の著書も同時に購入。先にこちらが書かれ、その筋では意外と有名な書であるそうな。ぃやナニ、「旋律」だの「小節」だの、そこに惹かれただけとかいうのは内緒の話。こちらは「情緒」の1/4程の厚みの、とは言え本気の物理書であるらしい。
 ……失敗したかな(^^;;;;)


 そんなワケで、兎に角今日は長いw
 途中でトイレ休憩など、ご随意にどうぞ。



音楽家は数学脳である

 昔、ある音楽の先生の仰るには、「“善い音楽する”人は、数学脳である」と。『音楽する』という表現をよく使われたが、得てして音楽家は理系であるそうな。そんなぁ私ぜんぜん数学出来ませんよー理系ダメですぅ、と当時バリバリ文系ぷりぷり女子であったオレが嘆くと、「ぃや、あんたは自分では気付いてないかも知れんけど、絶対に数学が好きな筈です」と断言されてしまった。嫌ぁぁぁ嫌いキライィィィと逃げるオレに「学校の勉強が文系理系というのは関係なく、音楽する人は数学脳を持ってるんです」と畳み掛けられる。更には「あんた、『代数・幾何』好きやろ」と。確かに、数Aより数Bの方が、『微積』より『代数・幾何』の方が好きではあった。哀しい哉、『確立・統計』は全く以ってちんぷんかんぷんで大嫌いであったが。

 ある時先輩が「先生は高校時代、もしかして理系やったんですか?」と聞かれた事がある。勿論先生は音楽進学のために文系クラスであったが、音楽家になっていなければ工学部に進んで技術者になりたかったそうな。おじい様かひいおじい様かが技術者だった影響か、音楽家一族とは言え技術系への関心は高かったそうな。

 そんな中での「“善い音楽する”人は、数学脳である」発言は、つまりは物の考え方や理解の仕方・再現の方法などが論理的であり、音楽も論理的な頭脳がないと読み解くことが出来ないし、表現することも出来ないと。オレは自分は至極直感的であると自覚するが、単純にそういう話ではなく、数学にも物理にも研究にも直感が大事であり、「モーツァルトの音楽は、大変数学的でしょ」と仰る。脳学者や数学者も例に挙げるように、点対称の楽曲や、数式に置き換える事が出来ると言われる音の配列など、キャラクター的には相当直感の人だったであろうモーツァルトから生まれた作品は、確かに数学的である。或いは「ダ・ヴィンチは天文学者でもあり医学者でもあり数学も物理も出来て、その上で音楽にも優れていたのは、すべて(のプロセスとそれを辿る本体である人)が同じだからです」と仰る。みんな錬金術師て知ってるか? 彼らは科学者でありながら、同じように音楽も極めてたゆーのは、考え理解して表現する(回答する)プロセスが同じやからです。後世になって学問としてそれぞれを細分化するようになったから、理系だの文系だの芸術系だのとその人の最後の行き着いた姿で傾向を決め付けてしまってるけども、分けて考えること自体がナンセンスなんです。

 斯くして「“善い音楽する”人は、数学脳である」というのが先生の結論である。反すと、数学脳がないと善い音楽は作れない、というわけである。


 …あぁ、オレの錬金術思想って、この先生の影響かぁ…と今頃になって気付いたw 記憶の奥底に染み付いてたんやね。この説教(説法?)があって、無意識のうちにオレの中で熟成されていったんやなぁと。思春期の思想教育ってスゴイね。

 オレの永遠の師匠(w)も、同じようなことを仰ってたなぁ。
 演奏家って、賢くないと演奏出来ないんだよ? ちょっと理系な部分があるよね。でも、クラシック音楽鑑賞が趣味とか言ってる医者とはぜんぜん違うよ(一同大きく同感)。ぼくは、音楽を自分のステータスにするヤツは大っ嫌いなんだ(またも一同大きく同感)。君(オレのこと)は賢いんだけど、もっとアホにもならないといけないね。そこが難しいところでもあるんだけど。


 …要は融通利かんカタいヤツだと諭されておったんだな。先日の演奏会に来てくださった先輩にも「学生の頃は兎に角真面目な歌やったもんなぁ~ぃやぁホンマ自由になって~ww」ってツッコまれた。



数学は美しい

 高校1年の時の数学の『証明』の先生がいつも「答えは間違ってても、いいプロセスで美しい証明をした人には点数をあげます」と言うて、オレはほぼ毎回その方針に肖っておった。計算はちょぃちょぃ間違うが(ぉぃ!)解決方法が面白い、とか式の立て方(書き方)が美しい、とかいうので5点とか10点とか。そりゃぁもう、図解の時は如何にフリーハンドで正円を描いて点を貰うかに総力を懸けたほどである。授業中、これまた人とはちょっと違う攻め方で(自分は至極正攻法のつもりで)図解をし、黒板の前で最後に行き詰ってものの見事に玉砕しても、「結局間違ってますが、着眼点が面白いので○点」とか言うてポイントを稼いでおった。そゃからとて別に期末テストでその分加算されるとかオイシイ事はなかったが、たとえどんな難問を正解しても、解き方が美しくないとか字(式)が汚いとか図がいがんでる(歪んでる)とかいう解答には、容赦なく減点される先生でもあった。

 『数学は美しくないといかん』というのが、この先生の数学に対する姿勢であり敬意であった。ぃや多分、数学者はみなそう思うておられるだろうし、本来的に数学とは美しくあるべきものであり、また本体的に美しいものであると思う。そして人は、恐らくそこに惹かれるんではないかと。オレも大人になってから、数学的なもの物理的なもの科学的な物事に大変興味をそそられる様になったし、学校で習った知識の記憶の片鱗ではあるがちらちらと顔を出してくるようになり、それについて少しながらも改めて、今度こそ本気で知りたいと思うようになっておる。

 自然界の節理はすべて数学で説明が付くと言われる。或いは、数学で説明出来る事だけを説明しているに過ぎないのかも知れんが。その説明出来る外に居るのが、人体の不思議である、オレ??? 脳とか生命とか、確かに数学でも物理でも医学でも説明付かんものは未だにたくさんあるし、もしかしたら説明は出来るんだろうが、その方法をまだ人類が解き明かしていないだけなのかも知れんし。…ほら、数学者の間で、ナンチャラの定理が解けただの解けんだのって、100年来論争してたりしはるやん? そんな感じで。

 音楽も、それを行う人間も自然の産物であり、自然の摂理の中にあってその摂理に従うもの反するものが出てきて、説明出来たり出来なんだり、それを考えるのも答えるのも生み出すのもすべて人間の行いであって、結果的にすべては繋がっているしそれはすべて同じものなんだなぁと思う。



『覚える』と『理解する』

 テストの直前に「○○の定理覚えなアカンから大変やー」と言うておったら、理系の先輩に「そんなもん覚えてどなぃすんねん」と一刀両断された。定理は覚えるもんでなくて、寧ろ大事なのは「なんでそれ(定理)がそういう形で出てくるのかを理解すればいい」んだと。数学が出来る人は定理なんぞを『覚える』ために脳の無駄遣いはせん、必要ならばその時に導き出せばいい話であり、そんな暇と労力があったら、『その定理がどうやって生まれたか何故その形になるのか』意味と過程を自分で導き出して覚えとけと言われた。成る程なぁ頭のえぇ人は視点が違うなぁ、と感心した記憶がある。が同時に、過程を自力で導き出すことが出来なんだので結局定理だけを覚えたが、結果的に未だにそれが何なのか内容は覚えてないよう~。

 ぃや勿論『定理』はちゃんと覚えたよ、「ケーシー&ハミルトンの法則」とか!
「何でそんなん知ってんねん?!」って3年の時理系の子にツッコまれたけど「2年の微積で習ったもん。名前だけ覚えてるん!」って自慢したら「意味ないやんけ!」って重ねツッコミされた。

 未だにたまぁに突然頭に浮かぶ、高校時代の理系のカケラ。
 9:3:3:1、とか…あ、コレは未だに解るよ。『生物』好きやったから。遺伝好きやったから。
 NH3COOH、とか…ホンマはNH3CHO2らしいけど、どなぃしてもこのリズムで思い出す。オレ等の頃は『NH3COOH』って言うてなかったかなぁ。三つ子の魂何とやらって言うし。地下鉄の広告の空きスペース貼紙の模様が、どうしても分子結合に見えてしゃぁなくて。そしたら『NH3』がふと思い浮かんで。あぁでもこれは単体では不安定やしなぁ、●○3で安定したヤツ他にないかなぁ…って、もうそれから気になって気になってw 普通、そこに発想いかへんってツッコまれたけど。

 こんな感じの↓↓↓ CO3? ぃやそれも不安定。



総ての学問の共通語

 物事を深く深く突き詰めて考え研究するタイプの人間でないと、音楽の本当の姿は見えてこないし、深く深く突き詰めて内なる自分と対峙する事で、やがて本当の音楽が見えてくる。その果てにアホになって歌いなさい、と斯の先生はいつも合唱の練習で繰り返し仰っておった。インナーユニバースとか自分を研ぎ澄ますとか、やはりその辺はどの分野に於いても極める上で共通語なんやろうとは思うが、ぃやぁ、残念ながらオレは未だに見えませぬ。多分ずっと音楽の小道で迷子のままなんやろうなぁと思いながら、今は迷えることに存分に感謝してみたり。

 いい先生に育てていただいたなぁ~、いい先生がたくさんおられる高校で良かったなぁ。変な学校でもあったけどw 何かにつけ、オレはほんに先生に恵まれておった。
改めて、Habe Dank!!(ハ~ゲンダーーッツ!って聴こえるらしい空耳アワーw)


 さて、本記事の発端となった『虚数の情緒』。
 『虚』数という掴み所のない、然しながら確かに数学で習う『数』であるから、子供の頃に誰しも触れている筈の概念である。中学生に理解させようとの試みらしいので、言葉解説の類は恐らく噛み砕いておられるであろうとの期待大きく、どんな数学の薀蓄を披露してくれるのか楽しみである。(まずは頑張って何とか最後まで辿り着くことを願って)

 因みに、殿@北野武氏関連書『コマ大数学科 特別集中講座』なる本も一緒に購入した。兎に角数学好きなたけし氏の、コマ大エピソード等も交えつつ、竹内先生(コマ大数学科の先生)との真面目な数学の話もあるそうな。コマ大、以前は観てたんだがな。その局が入らんようになってから観てないので淋しい。好きだったのよぉ。楽しかったのよぉ。




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