年齢と芸術



年を取って、その身体的体力的衰えにより出来なくなる物事は誰しも増える。一方で、年を重ねることで培われる経験により、新たに出来るようになる事柄もある。

芸術とはその性質から、年齢になんら制限のない世界であり、芸術家はそんな世界に身を置いている。否、本来人間そのものの年齢に『制限』なんぞ端からない筈である。個々それぞれ、同じ年齢とて同じ身体同じ状態の他者なぞ一人として存在し得ない。もっと突き詰めれば、自身とて、1秒前の自身と同じと言えるか。


そもそも、年齢という『数値』とは何ぞや。

コンクールに於ける年齢制限については、この際ちょっと無視する。そこもよぉよぉ考えれば、無意味な数値であることは容易に伺えるが。


昨今の自身の歌い方を改めて検証するに、これからがやっと本番かもと思える時がある。
やっと何かを掴んだというか、やっと何かに気付いたというか、新しい何かが見えてきたというか。或いは新しく、改めてやり始めようというか。


葛飾北斎、享年88歳。彼は晩年、何やら新しい自分の可能性を発見したらしく、実に100を超えてまで活動する意欲満々であった。
平田郷陽、享年78歳。彼も晩年、その作風に新しい技法を取り入れ、己の更なる新境地を開き始めていた。


「若かったら」「この年で」云々という言い方(或いはそういうことを言う輩)がオレは気に食わない。初老をとっくに過ぎてから筋トレを始め、素敵な身体を手に入れた芸能人の方々がおいでる。要は年齢云々でなく、思考の指向性とその意思であろう。若かろうがその指向性が萎えておれば、その人は後期高齢者である。反対に、後期高齢者と位置付けられながらまだまだこれから何か始めようとされる御仁は、恐らく言葉を覚え始め外界に興味津々アンテナ張り巡らせている、幼子の如く活性化した精神であろう。


オレはいまだに青春の真っ只中にある。色んな意味で、歌える現実が嬉しくて楽しくて、その意識に未だ衰えはない。まだまだ「青」いのである。「青春」が十代後半限定に対する言葉だと誰が決めたか。生き生きとした精神を持つ時はすべて「青春」と呼ぶに相応しいし、本来の意味は恐らくそうであろう。押し並べてそれが不特定多数に於いての十代後半に相当するから、というだけの話である。

ついでにツッコむと、今の十代後半は青春も通らず既に死の淵におるようであるな。




G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。