山田先生ごめんなさい


 小生、山田耕筰信奉者である。まぁ色々言われておる(ヤラカシた)お方ではあるが、やはり日本の音楽界に於いて、それはそれは偉大な業績を残された相当な才能の持ち主であられる。加えて文章もお上手で著書はかなり面白い。幾分盛り傾向なくもないが(w)、そこを差し引いてもやはり文章にはリズム感があり、直接お話を聞いているような、こちら側を引き込む力がある。それは音楽に於いても同じで、やはり彼の歌曲はピアノパートだけを聴いていても引き込まれ乗せられる面白さがある。


 先見の明と才能は、ふんだんにお持ちである。

 あるんだが。大好きな作曲家なんだが。


 最近、ちぃとばかし山田センセにツッコミを入れ始めておる自分が居る事に気付いた。勿論、山田センセの作品に関してではない。そこにはド素人の小生なぞ口を挟める隙もない。

ツッコミの的は、専ら瀧廉太郎作品の山田版である。

 数こそ少ないが、原作が瀧・編曲が山田となれば当然目立ちまくる。生まれ年にして7年程しか違わねど、当時の7年は日本に於ける西洋音楽の扱いは激変である。それこそ小学1年と中学1年ほどの違いがあるわけで、ましてや若干15歳で東京音楽学校(予科)に入学した瀧と、正味18歳で入学した山田とでは、教育現場的に10年の差がある。この10年で、国樂とその教育体制は大いに進歩し様変わりした。それでも当時の上野(音楽学校のこと)の内情(カリキュラム)はお粗末そのものであったと山田氏は言うが、そんな中で瀧の残した作品の数々は、確かにまだまだ未熟さが垣間見えるものの、それは彼の未熟さではなく国樂の未熟さであり、当時の力量からすれば瀧は恐らく枠からはみ出さんばかりの才能であったと思われる。これだけのものを残したお方であるから。


 さてそんなワケで、本題のごめんなさいである。


 何にごめんなさいかと言うと早い話、山田センセの編曲が、小生どうしても気に食わんかったということである。

 瀧廉太郎渾身の歌曲集(組歌)『四季』の第3曲「月」に関して、この曲のみ山田氏が後世編曲をしている。因みにこの『四季』は、

第1曲 「花(花盛)」:混声2重唱
第2曲 「納涼」:ソプラノ独唱
第3曲 「月(月蔭)」:無伴奏混声4部

第4曲 「雪」:混声4部ピアノ+オルガン伴奏

 という何ともユニークな構成の曲集であり、瀧はこれを1連の作品としては考えておらなんだそうである。ゆゑに現在でも「花」は単独で演奏されることが多いが、この4曲のうちでも特にずば抜けてよく出来た作品であったという事、そしてこれが1曲目にあったという事も、よく歌われるようになった要因であろうと思われる。

 また第3曲「月」に関しては、前述の通り山田センセが「秋の月」として独唱+ピアノ伴奏用に編曲されたものを演奏会で聴く機会が(まれに)あるらしいが、これがまた…山田ワールド遺憾なく発揮、遠慮なく全開である。

 山田氏の編曲と云えば、移調・旋律の変更・派手な表現・難易度の高いピアノ伴奏でその都度炎上してきた曰く付きである。「荒城の月」「箱根の山」もやはり瀧氏の作品であり、これに加えての「秋の月」である。これまた移調されており、珍しく原調(c:)より低くなっており(h:)完全にアルト用である。大好きな小川明子さんが歌っておられるが、流石にピッタリである。

 ただ。

 やはり「何かちゃうねんなぁ」感が拭い切れず、更に自分には低すぎるキーである(原調でC4~F5)。

 山田版で歌う? 原曲を無伴奏で歌う? 他パートをピアノ伴奏にして原曲で歌う?? …色々考え試した結果、「自分で原調で編曲する」。


 山田センセ、すんません。けんか売ります。


 勿論センセみたいな見事な編曲は出来ん。が、やはりちょっと見事すぎて重たいしちょっとご大層な感じがして、瀧氏の秘めた切なさというか「もののあはれ」感が打ち消されてしまっているような気がして、あの編曲はいただけんのである。何より、瀧氏の作品は最後の和声がなんとピカルディ終止(ピカルディの3度)を使っておるにも拘らず、山田氏の編曲は元の調(移調しているのでh:)でそのままずんずんとピアノの尾ひれを付け、結局 h-moll のまま終わる。

ぃやぃやそこ、ハッとする3度ゃないですか!!
きらきらする一瞬ゃないですか!!
これぞもののあはれゃないですか!!

▲原作「月」のピカルディ終止。
冒頭よりc:できて、最後の最後でいきなりのC:は涙が出るほどハッとする。


▲山田版「秋の月」の終止。
この調では本来、ピカルディ終止なら青囲みの部分の第3音は[Dis]でなければならない。山田氏は重々しくh:のまま終わっている。


 本居長世先生ではないが、原曲に忠実に、作者の意図を曲げることなく、ありのままの形・作られた当初の姿を聴いていただく。それが当演奏会の大命題である(そんな大袈裟なもんではないが)。昨年より瀧廉太郎を勉強し直し唱歌を勉強し直ししているうちに、例え山田大先生とて、弄りまくりにはそこそこの抵抗が芽生えてきた。

 勿論、山田版では自分に低すぎるからという問題もあっての編曲に着手した次第であるが、当時の作曲家の作品に対してのべつ幕無し諸手を挙げて有難がって賛同するのではなく、何かしら何処かしらに、ケチ付ける訳ではないが改めて作品に関して問うことも、演奏していく上で必要かなと少し思ったりする今日この頃である。

 色々勉強していくと、それだけ原作に寄せる想いも強くなり、欲も出てくるというものである。


 ぃやでもやっぱり山田センセはスゴイのよ。




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