今時の教科書【H29年度堺市版小学6年生用】
昨年20年振りに再会した初代ピアニストと、唱歌行脚をしようという話で先日意気投合し、自身の童謡発表の機会も含め本格的に行動に移すこととなった。今年は自身の抱負にもある通り、音楽に重点をシフトしつつ、より深く唱歌或いは瀧廉太郎の勉強・研究をしようと動き始めた矢先、知人の知人から、H29年度の堺市小学校6年生用の音楽の教科書を譲っていただいた。第一印象は、
薄っぺら!
派手(絵が多すぎ)!
内容しょっぼ!
申し訳ないが、我々が使っていた教科書は少なくとも倍の厚みがあった。内容はもっと濃かった。曲もたくさん載っていたし、フルコーラスだったりオケ譜が載ってたり、作曲家の顔もたくさん載ってたし。何より今の教科書、6年生でさえ字も楽譜も馬鹿デカい。なめてんの?と一瞬思わずにおれなんだ。教科書が薄くなったとは聞いていたが、実際手に取り、既に情けなさ満載であった。
さて注目の唱歌。全く載っていないわけではないものの、かなり幻滅した。
フォークだのポップスだのは倍掲載されている。何考えてんの? である。日本歌曲の記念すべき第1号とも言うべき廉坊@瀧廉太郎の『花』に至っては、歌詞のみである。
有名すぎるからか? みんな知ってるから?(ぃや知らんやろ)。ここはちゃんと混声二重唱の楽譜を載せるべきやろ!失礼すぎるやろ!
『箱根八里』はちゃんと廉坊原作のまま載っていたので少しほっとした。が、ちょいちょい書いてある語訳がツッコミ満載状態であった。
童謡として初出した『浜千鳥』が載っていたのは嬉しい。まぁキーは短3度下げられていたが(-_-;)。大目に見てやろうか。
『夏は来ぬ』は…うん、まぁ載っていただけ良しとしたいが、歌詞端折り過ぎでないかぇ? 我々の世代では、恐らく全節載っていた記憶がある。確かに5番歌詞は1~4番の総括みたいな句ではあるが…だからってやっぱり端折り過ぎ。
流石と言うべきか、『翼をください』は鉄板の名曲である(何年前よ?!?(;^ω^))が、二重唱になるアルトの第一声の旋律が、我々の頃と違った。
緑枠のアルト、「ぃよ~~~ぉおっ!」ってみんなでハマッたなぁ( ´艸`)。しかし今の旋律では、小6には [As]-[A]-[G] は難しいんでない?? 我々の時代のようにいっそ [D] まで離れた方が、音としては取りやすいんでないかと思うんだが。
全体として、実践(歌う事)に主眼が置かれているようであるのは、一応の評価点であるかとは思う。音楽を学ぶ上での最終課題はやはり実践(演奏)であり、中でも「唱歌(歌う事)」は音楽取調掛の時代から第一とされてきた。そこをちゃんと踏まえてはているなというのは、演奏家として少しは評価するが、やはり唱歌の掲載数が格段に少ない事・内容が薄い事はもっと問題視されるべきと考える。
そらぁ、人格形成レベル下がるゎ…(-_-メ)。
現時欧米ノ教育者皆音楽ヲ以ッテ教育ノ一課トス。夫レ音楽ハ学童神気ヲ爽快ニシテ其ノ勤学ノ労ヲ消シ、肺臓ヲ強クシテ其ノ健全ヲ助ケ、音声ヲ清クシ、発音ヲ正シ聴力ヲ疾クシ、考思ヲ蜜ニシ又能ク心情ヲ楽マシメ其ノ善性ヲ感発セシム。是レ其ノ学室ニ於ケル直接ノ功力ナリ。然シテ社会ニ善良ナル娯楽ヲ与ヘ、自然ニ善ニ遷シ罪ニ遠カラシメ、社会ヲシテ礼文ノ域ニ進マシメ、国民揚々トシテ王徳ヲ頌シ太平ヲ楽ムモノハ其ノ社会ニ対スル間接ノ功力ナリ。
《音楽取調掛(音楽学校の前進)創設に関し、伊沢修二・目賀田種太郎二名による連名で、明治十一年四月八日を以って文部大輔田中不二麿に提出された上申書》
やっぱり唱歌行脚、せないかんな。
譲っていただいた方、ありがとうございました。他にももし卒業してもう要らんゎーという方ありましたら、地域学年関係なく是非譲っていただけると有難い限りです。
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