■たこ焼き模様

 私のバイト先は、畳2畳ほどのプレハブの中。毎日熱気に包まれながらたこ焼きを売っている。

 住宅地のど真ん中にしては通勤・通学路に沿っていて、下校生をターゲットにそこそこ小遣いが稼げる。初めは近所のおばちゃんのお手伝い感覚でやっていた私も、最近は如何に美味しい丸いたこ焼きを焼くか、ちょっとした職人気分でいい汗を流している。おかげで体重が1年のときよりちょっとだけ減った。

 屋台には毎日平均20人くらいのお客が買いに来る。中高生の常連が殆どで、たまぁに通勤途中のおじさんが寄ってくれる。1舟8個150円は今時リーズナブルだし、私の腕も上がってきてお客の数も増えたらしい。半年前、おばちゃんは私に屋台を完全に任せて引っ込んだ。それも理由でしょ、やっぱり看板娘は若い方がいいやん? リズムよく、たこ焼き返しにスナップが利く。

「いらっしゃいまいど。何します?」

 たこの他にウィンナー、チーズ、もち、シーチキン、えび、爆弾ねぎ。お好み焼きのトッピングに負けないラインナップに、初めてのお客さんは大抵眼を泳がせる。チーズ美味しいで、+50円で好きなんミックス出来るよ。セールストークも板についてきて、この時の反応で今後常連になるかそうでないかも大体判ってきた。ただの小遣い稼ぎが、お客との世間話で盛り上がり、ちょっとした悩み相談室に早代わりすることもあった。

「すみません、たこ焼きください」

 ある日、中学生くらいの男の子がやってきてぼそっと言った。ウチの屋台は窓口がそこそこ高くて、まだ成長していないその子は、ぶら下がるようにして顔を覗かせた。

「普通のたこ焼きでいい? 8個?」

 その子は無言で頷いた。初めてのお客さんでも大抵は店の前の道を毎日通っている人がほとんどで、顔くらいは知っている事が多い。でもその子は全く初めて見る顔だった。私が焼いている間、よっぽどその手つきに興味をそそられたのか、無言でずっと見ていた。ちょっと緊張しながら、私も焦げ目をつけてきれいに丸く仕上げ、得意の3ツ掬いで手際よく舟に並べてわら半紙を巻いた。

「はいお待ち。熱いから気ぃつけてね」

「ありがとう」

 男の子は標準語でそれだけ言うと、捧げ持つように舟を両手で受け取り帰っていった。

 始終無表情だったけど、コレは来たな、と思った。案の定、男の子はそれから何回か買いに来てくれるようになった。初めは10日に1回くらい、そのうち週に1回くらいになって、最近は週に2回来てくれるようになった。

「まいど。今日も普通のやね」

 男の子は無言で頷いた。この日は体操服を着ていた。胸にクラスと名前がくっきり入った真新しいゼッケンが付いていた。

「沢木君って言うんや」

 突然名前を呼ばれて、男の子は驚いたように初めて顔を上げた。私は笑って彼の疑問に答えた。

「ゼッケン見えたで。水尾の2年なんや」

「なんで?」

「ゼッケンの色、黄色やろ。学年の色決まってるやん、そやから判るねん」

「ふぅん、そうなんだ」

 男の子は自分のゼッケンをしばらくまじまじと見ていた。それから顔を上げて初めて彼から話しかけてきた。

「お姉さん、水尾中学の卒業生?」

「うん。私も黄色。『黄色の学年はきぃきぃの学年』てよぉ先生らに言われたわ」

「今も言ってる。なんだよ『きぃきぃ』ってさ」

 男の子はそう言って初めて笑った。そらぁたかだか3年前に言われていたことくらい、今でも言ってるだろう。私の学年が習った先生もまだ居るだろうし、むしろ言い出しっぺはシャベリのオッサン体育教師。水尾に居る限りずっと言い続けてそうな気がする。

 自分の通う学校の話題で少し親近感を持ってくれたのか、男の子は今度は自分から別の話題を振ってきた。

「お姉さんの高校って、バイトしてもいいの?」

「うちはバイト構へんねん。珍しいやろ」

「部活は? 何でバイトしてるの?」

「部活なぁ。特に入りたいの無かったし、欲しいモンあったし」

「お小遣い貰ってないの?」

「貰ってるよ一応。そやけど月3000円で何買える? CD買ぉたら終わりやん」

「まぁそうだけど、イヤじゃない?」

「なんでぇ。自分で始めたバイトやで、何言うてんの」

「まぁそうだけど」

 男の子は叱られたように少しうつむいた。私の言い方、キツかったかな。彼のリアクションにちょっと気まずくなって、私はトーンを変えて話を続けた。

「確かにこのバイト、初めはココのおばちゃんの手伝いで始めてん。そやけどたこ焼き焼き始めたらオモシロいしな。やっぱし大阪人はたこ焼き焼けてナンボやし」

「ホントにそうなの?」

「そうやで」

 男の子は真顔で見上げ、私はちょっと得意気に答えた。そして懇々切々と、大阪人たる者のたこ焼きに込める愛を語って聞かせた。銅板でたこ焼きがじゅっと鳴って、香ばしいいい匂いがした。スナップの利いた右手が銅板の上で踊った。

「バイトってな、真面目に続けてたら、同じモンでもなんか今までと違って感じてくるねん」

「どういうこと?」

「んー……例えばホラ、同じカレーでも、登山のとき自分らで作ったら美味しく感じるやろ? そんな感じかな」

「あぁ、何となく判る」

 男の子は結構真面目に話を聞いてくれて、うんうんと何回か頷いた。それからまた私の手元を楽しそうに見ながら言った。

「ぼくもバイトしようかな」

「バイト出来る高校入ったらしぃや。学校に依ったらアカンからな」

「お姉ちゃんの高校入ろうかな」

「止めとき止めとき、うちアホ高やから」

「どこ?」

「聞くか?! 『青高』って知ってる? そやからアホ高って言われる」

「知らないけど、覚えとこ」

 男の子は無邪気な顔で笑って手を差し出した。それに釣られて、出来立てアツアツの舟を渡しかけた私は、ついその手を引っ込めた。別に意地悪したかった訳ではない。単に私のテンションが高かっただけかも知れない。いずれにしろ今日の私の口は良く回るらしい。またネタが出てきた。

「そう言えば私が自分と同じ頃な。隣のクラスに転校生来てな」

「自分?」

 男の子がなんとも不思議そうにキョトンとして尋いた。銅像のように、差し出された手も、視線も、宙に浮いたままだ。マズイ、このままでは自慢の絶妙トークに穴が開く。

「あぁ、『自分』ってあんたのことな。関西では相手のこと『自分』て呼ぶねん」

「あぁ……」

「私が中2のちょうど今頃やん。隣のクラスに転校生入ってきてな。自分みたいな東京語喋る子やったらしいねんけど」

「友達じゃないの?」

「ちゃうちゃう。隣のクラスに友達おってな、その子から聞いただけで私は直接喋ったことないねんけど」

「……その子がどうかしたの?」

 不意に言いようの無い違和感を湛えて男の子がそう聞いた。明らかに意図を感じるその間に、私は不覚にも動揺した。

「ん? まぁあんまし知らんから、どうって言われてもアレやねんけど、その子さ、そこそこカッコよかったから、女子にはそれなりに人気あってんけど、まぁ自分みたいに大人しかったのと言葉がちゃうのとで、男子にはからかわれてたらしぃんよ」

「ふぅん」

「それでかどうかは知らんけど、転校してきて2ヶ月位ですぐ居らんくなったらしいわ。もうちょいガラのいい学校に転校したんちゃうかって」

「ホントに転校したの? その人」

「さぁ。隣のクラスの子やったから、結局ほとんど知らへんし」

 実際、その転校生のことはその程度しか覚えていなかった。だからナニ、とツッコマレれば、オチが無くてすみませんと平謝りする以外に逃げ場はどこにも無い。屋台は狭くて隠れる場所も無い。我ながら完全なミストークだと悔いていたら、

「好きだったの?」

「んなアホな!」

 完璧なまでの不意打ちを食らってしまった。このガキ、関東モノだと甘く見ていたが、実はなかなかデキる口なのか。軽く構えてはみたが、ただ、生意気な口を利いた割には、男の子の目は無機質で、表情は能面のようだった。

「自分は大丈夫か?」

「へ?」

「『へ』って。自分はいじめられてへんかて聞いたってんの。その子によぉ似てるからお姉ちゃんが心配したってんねやん。まぁ初めて買いに来た頃よりかは、だいぶ喋るようになったけどな」

 男の子は躊躇いがちに「うん」と小さな声で控えめに返事し、そのまま下を向いた。あー、また私の言い方、キツかったかな。というか、やっぱり所詮関東の子供に大阪人の口調はキツイんやろか。まだ免疫出来てなさそうやし……。

 私は咄嗟に、手に持ったままの舟に、銅板の端っこでちょうど焼けたスペシャルバージョンを一つ押し込んで、男の子の目の前に突き出した。

「ハイこれ。今日は一つオマケしといた」

「なに?」

「それは食べてのお楽しみ。毎度おおきに。また来てな」

 男の子はちょっと遅れてコクッと頷いたものの、明らかに舟の上でハミ子になっている一粒をじっと見つめたまま、何も言わずに背を向けた。「おおきに。また来てな」 ―― 私は少し俯き加減の背中にいつもより大きめの声を掛けた。男の子は一度立ち止まって小さく振り返り、躊躇ったような素振りを見せた。でもそのまま帰っていった。

 それきり、もう男の子は来なかった。


・・・・・ ・・・・・


 中間試験が終わり、重圧から解放された帰りの電車で、同じ中学の友達にばったりと逢った。3年間同じクラスになったことはなく、高校も別々、方角も逆だったので、家が近所とはいえほぼ卒業以来だった。

 その日は自分も屋台のバイトがたまたま休みで、相手も同じように帰宅部、更には塾にも行っていない自由なご身分らしいので、ここぞとばかりに寄り道をして、駅ビルの中のコーヒーショップに陣取った。

 まずはお互いの近況報告をして、それから互いの友達の勝手な近況報告になった。何組の誰某がどこの高校に行ったとか、誰と誰が実は付き合っているとか、知ったところでお互いの糧になるような話はほとんど無かったが、この時間を共有することが、私たちの最大にして最重要事項とばかり、知る限りの情報を惜しみなく出し合った。

「そういえばさぁ、今頃やったかなぁ」

 そろそろ互いにネタが尽きかけてきた頃、まるで究極奥義でも繰り出すかのように、友達はこう切り出した。

「中2の時、ウチのクラスに転校生来たん、覚えてる?」

 彼女は椅子に背中を預け、巡回してきたウェイターにコーヒーのお替りを注いでもらうのを待って、必要以上に思わせぶりに言った。

「あの子、すぐに転校したやん? でもあれホンマは違うらしいって知ってた?」

「違うって、何が?」

 この手の話の持って行き方には、いつも大した展開を期待しない。スモークガラスのテーブルの上でひとり冷や汗を掻いているコップの水を飲み干して、スベらなければツッコんでやろうくらいの気で先の言葉を待った。その態度が不満だったのか、彼女は今度は徐に顔を近づけてきて、意味深に声を落としてゆっくりと言った。

「ホンマは死んだらしいって」

「うっそやん」

 私は軽く鼻であしらった。どうせつまらんオチで笑かそうとか思ってんのやろ。

「卒業式の後にクラスの男子と女子と何人かで、学校の裏山にタイムカプセルとか言ぅて、名札とか埋めに行ってんやん。その中に、2年とき同じクラスやった男子がおって、その転校生と仲いいと思っててんけどさ ―― そいつが私にそぉっと言いやってん」

「何を?」

「落としたって」

「……何を?」

「転校生」

「はぁっ?!?!」

「うっさ!」

 彼女は反射的に両手で耳を塞いで退け反った。私は2人掛けの小さなテーブルを持ち上げんばかりに抱え込み、身を乗り出した。いくらなんでも有り得へんでしょ、そんなオチ。

 テーブルの縁を彼女の腕に替え、今度は私が彼女を引き寄せて、出来る限りの小声で問い詰めた。

「ちょ……あんたそれ、今まで黙ってたん? どーゆーことそれ……それ誰よ! まさか殺したんちゃうよな、転校生のこと……なぁ、そいつ殺したん?」

「まさか、そこまでは言うてなかった。ただ突き落としたって」

「何考えてるんよそいつ!」

「でもビルから突き落としたわけじゃなくて、裏山ってほら、3mくらいの、断層見えてる斜面みたいなとこたくさんあるやん。下は落ち葉とかいっぱいあってふかふかやし」

「あるけどさ。あるけど、どーよそれ。落ちたらいくら何でもヤバいやろ!」

「そやけどその男子も、下柔らかいし、ちょっとビビらそ思って背中押しただけって言うてたから」

「ほななんで、その転校生が死んだってゆー話になるわけよ」

 私は彼女の手首を掴んだまま、勢い余って立ち上がっていた。一方の彼女は椅子に座ったまま、半べそをかいたような表情を長いストレートの髪で隠すようにそむけていた。既にお互いの声は通常ボリュームに戻っていて、他のお客さんがチラチラと変な顔でこっちを見ていた。

「ほんでそいつ、転校生突き落として、後どないしたん」

「起きてけぇへんかったけど、泣かんとそのまま睨みつけてきたからムカついて、別に大したことなさそうやったから、そのままほって帰ったって……」

「アホやろそいつ ―― 生きてんねんやん」

 私は掴み挙げていた彼女の手首をテーブルに投げつけるように解放し、脱力して椅子に座りなおした。彼女の分の水も飲み干して、溜め息を鼻から吐き出した。彼女は泣かずに、寧ろ明らかに責めるような顔で私を盗み見た。私が責められる筋合いはない。

「生きてんねんやん」

 もう一度私は独り言のように吐き捨てた。別に大きなオチが欲しかったわけでもないし、ツッコむ要素もない。私は腕を組んでそのまま押し黙った。次の行動に移すには間も悪く、その場繋ぎのようにただ流れている知らないBGMが、私のイライラを余計大きくした。

 しばらくして少し落ち着いたのか、彼女は訴えるような眼で私を軽く睨みつけ、今度は居直ったように捲くし立てた。

「でもあの後からサワキ、学校来ぇへんくなったし、あたしかてその場におった訳とちゃうから、ほんまかどうか知らへんし。そやけど捜索願出たって職員室でウワサになってたんはホンマやで? 担任が警察に呼ばれたりとか」

「知らんわもぅ」

 私は露骨に不機嫌な声で、目の前にふたつ並ぶ空のコップを軽く揺らし、溶け残った不揃いな氷を鳴らしながら、彼女の言い訳のような言葉をゆっくりと頭の中で繰り返した。

 コップの中で、氷ががちゃんと行儀悪く崩れた。

 明らかに引っかかる単語を見つけた。

 一瞬の違和感が、私の無意味な手を止めた。

「ちょっと待って。ナニって? っていうか、誰って?」

「え?」

「誰が学校来ぇへんくなったって?」

「だから、サワキ」

「サワキって、それ転校生?」

「そう、やけど……下の名前は」

「それ、具体的にいつの頃か覚えてる?」

 再度私は詰め寄った。彼女は小さく声を詰まらせて、真っ直ぐに私を見た。要領を得ていない目が2・3度瞬いた。

「え、えっと……中2の、2学期の、中間終わった日の、放課後って言うてたから ―― 」

「中2の2学期の中間の最後の日 ―― 3年前 ―― 中2 ―― サワキ ―― 中2……んなアホな」

 自分でもその発想はアホらしいと思った。それでも、手品師かスリ犯のように自分の財布から千円札を抜き出してテーブルに置くと、萎れた彼女を置き去りにして、私は店を飛び出した。

 学校の裏山。中学校の裏山。マムシが出る裏山。野犬が住んでいる裏山。たまにチカンが出る裏山。通学路よりショートカットになるからといって、部活帰りに通り抜ける生徒が結構いた。見つかったら先生に怒られるが、実は暗黙の了解になっていた。1本だけ幅の狭い階段があるから、近所の人が昔から使っているらしい。ただ階段を上った先は人一人通れるくらいの、舗装されていないただのケモノ道が1本あるだけ。街灯も無いから夜に通って道を外れたら、メチャクチャ危なそうだ。野犬やチカンに襲われたりしたら、それこそエラい目に遭うだろう。実際、1つ上の先輩で、まだ明るい時間に裏山を通ってチカンに遭い、逃げる道すがら野犬に追いかけられ、足を滑らせて斜面を転げ落ち、さすがにマムシには噛まれなかったものの、全身傷だらけで足と手首を骨折した人がいたらしい。

 中学校の、裏山。

 

・・・・・ ・・・・・


 翌日の朝刊の地域情報面に、小さくこんな記事が載っていた。

 ―― 今日未明、町立水尾中学の裏の雑木林で、人間のものと思われる骨が部分的に見つかった。死後推定2年~3年が経過しており、骨の長さなどから10代の男性のものと思われる。遺留品などは今のところ見つかっておらず、身元の特定を急ぐと共に周囲に聞き込みを開始し、事故・事件の両方で捜査を進める予定 ――



----- (c)紅蓮, 2009.10. / 2013 井上きりん -----




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