■冬の花火 ~夏の終わり side-C



 毎年、オレの田舎で年末に村祭りがあって、規模は小さいけど花火が上がるんだ。空気が澄んでるからやたらと綺麗だぞ。来年は受験だから、見るなら今年だろ。せっかくだから来いよ ――


・・・・・ ・・・・・


 吐く息が白い綿飴のように、規則正しく口から出て消える。僕が来てからの3日間は、北国にしては珍しく暖かい日が続いていた。夜はさすがに冷えているが、それでもしばらく歩いているせいで、身体は温もっていた。

 康平は毎年この花火を特等席で見るらしい。そこへ連れてってやるからと、夕飯を早々に切り上げ、僕を連れ出した。お祖母さんが、僕たちに熱いお茶を入れた小さな水筒を持たせてくれた。

 家から20分ほど歩いてようやく辿り着いた康平の特等席は、それまで歩いていた土手とさほど変わらない景色の中にあった。比較的広い川が、黒い帯のように静かに地面に張り付いている。ろくに街灯のない中では、下手をすると道と間違えて踏み入ってしまいそうだ。それを見下ろす距離で立ち止まり、康平は「よっしゃ!」と独り納得してその場に腰を下ろした。僕は一度周囲を見回して、それから康平の右横に座った。ダウンジャケットの裾を伸ばしてその上に座ったのに、土の底から冷たさが伝わってきて、僕は小さく身震いした。

「お前、田舎は?」

「父さんが栃木で、母さんは高知」

「寒いのと暖かいのとか。んでお前は、暑いのも寒いのも苦手か」

「それは田舎と関係ないんじゃ ―― 」

 康平は、思いがけず身震いした僕を見てクスッと鼻で笑った。確かに暑さも寒さも苦手だけど、それは僕の身体のせいだよ。康平はちゃんと解っていた。

 まだ少し時間があった。対岸で花火の用意をしているらしい人の大きな声が時折、冷たい風に乗って聞こえてくる。康平は、胸元に校章の入った部活のグラウンドジャケットを私服がわりに着てきていた。確かに軽くて暖かくて、真冬に外で長時間過ごすにはもってこいだけど、ロングタイプで真っ赤な上に背中にまで学校名が横文字で入っているから、かなり目立っている。

 ちらっと時計に目をやり、そんなジャケットのポケットに無理矢理押し込んでいた水筒を取り出して、お茶を注ぐ。狭いポットに幽閉されていた湯気が、外の空気に触れてホッとしたように深呼吸する。康平はそれを2・3回ふうふうと忙しなく吹き飛ばし、それから長い息を細く吐いてそのまま黙った。コップの中で小さく波打つお茶を暫く眺めてから、静かに言った。

「なぁ、いつから?」

「ん? だからずっとだって」

「いや、そうじゃなくて」

「うん。ずっとだよ」

「……そ、か」

 僕は黙って頷いた。康平は気の利いた言葉を探したが、見つからなかったらしい。そんな不器用さが実は彼の長所だったりするんだと、僕は思っている。

「いつ気付いたの。おれが女だって」

 康平は僕を横目にちらっと見て、わずかに眉を上げた。戸惑いを隠すような少しおどけた表情に、僕もつられて眉を上げた。

「そーだなー。お前がぶっ倒れて、抱っかかえた時、かな」

「あの時はお世話になりました」

「どーいたしまして」

「でもさ、何もあんな抱き上げ方しなくても」

 真夏の放課後、グラウンドで無様に倒れた事を思い出して、僕はちょっとふてくされた。

「んなこと言ってもなー、あれが一番動きとしては無駄がないっつーかよ」

「あ、そ。力学的観点ってヤツね」

 康平は何故か満足そうににやりと笑った。

「でもなんで判ったの?」

「判ったっていうより、ただこう、何となく?」

 康平の両手が胸元で何かの形を示してもぞもぞと怪しく蠢く。

「何となくでそんな大それた事尋くかな普通」

「んー、ま、お前だから?」

「信頼されてるのね、おれ。で何で?」

 別にどうしても聞き出したい訳でもなかったが、康平がどう言うか、それが知りたくて、僕はわざと意地悪な尋き方をした。康平はちょっと面倒くさそうに首を一回ぐるりと回し、深呼吸をした後、相変わらず落ち着かない眼を泳がせながら口を開いた。

「ナニがどうってワケじゃねんだけど、なんかこう、骨格っつーか体格っつーか、とにかく塊としてさ、なんか違ったワケよ、お前の身体が」

「塊って……ボキャブラリィ無いね康平は」

 無機質にそう言ってはみたものの、康平の言いたいことはよく伝わった。

「康平に尋かれた時、正直なところ、ピンとこなかったんだ。生まれた時からおれは男として育ってきて、性別なんてのは後から付いてきたオマケ、みたいな……実感ないってゆーか、いつもそんな感覚だったから」

「あー、何となく解る」

「え、今ので解るの? やっぱり康平ってさ、おれの見込んだ奴だね」

「何だよそれ。お前を初めて見た時……あ、ほら、教室の窓から放課後毎日グラウンド見てたろ。あん時正直、お前が実在してるって感じがしなかった。なんかお前のその雰囲気が、掴み所なくってよ。でも付き合ってみて、そーゆーのとかなんか色んなモンかなぐり捨てて“お前が居る”って実感したっつーか、その、上手く言えねーけどよ」

「うん、下手だね」

 僕は簡潔に感想を述べてやった。

「大体さ、おれを見て『かわいい』とか思っても、女だって思う人はまずいないと思うよ?」

「自分で言うか」

「だってそうでしょ? 康平よりはおれ、イケメンだし。どこをどう見ても、男の身体だし」

「ちょい華奢ではあるが、“付いてる”しな」

「ん」

「それも始めからか?」

「当たり前だろ。遺伝子が女性型だって知ったの、小学校入るちょっと前だったけど、精密検査の時にたまたま判っただけで、その検査しなけりゃ未だに何も知らずにいたと思う。それが判ったところで、言わなきゃ誰も女だなんて、寧ろ信じないよ」

「そりゃそうだろうな。だって“付いて”んだもんな」

「そこやっぱこだわる?」

「ったりめーだろ」

「まぁね。生まれたときの決め手もそこだったから、おれの戸籍は男になったわけだし」

「身体弱ぇのも、やっぱ関係あるのか」

「さぁ。その辺りはよく判らない。だけどいずれにしても、今すぐどうこうって話じゃないし。心臓は小さい頃に手術したらしいけど。見たでしょ、胸の傷」

「あぁ、あのかっけぇのな」

「何それ。意味判んないよ」

「なんか侍みたいじゃんかよ、あの傷」

「康平の感覚って、やっぱりちょっと変わってるよね。ま、いいけどさ」

 応える代わりに康平が僕の頭を掴もうとしたとき、対岸で花火が上がった。細く尾を引き真っ直ぐに、冬の夜空を切り裂く。やがて花開いたその姿は、決して華やかではないが寧ろ潔かった。少し離れた場所から続けて2発、また別の場所からも2発、僕たちを包む冷たい空気を震わせた。やがて視界の殆どを埋めるように、次々に花火は上がっていった。周りでいくつもの白い綿飴と共に歓声が上がる。

「素朴だけど、キレイだね」

「あぁ ―― 」

 この震動を声で濁すのは無粋すぎる気がして、暫く僕らは黙っていた。

 ただひたすら上を目指し、最高の場所で一度きり、最大限に己を咲かせる。川面さえ揺らす地響きを残して、星になれない炎の花びらは闇に消えてゆく。

「何が哀しくて、冬の夜にヤロー2人肩並べて花火見てるかなぁ」

 骨に伝わる震動が少し途切れた時、康平が心底切なそうに言った。

「誘ったの、康平じゃん」

「うっせー。どうせ彼女いない暦17年だよ」

「おれもだよ」

 康平はちょっと素で驚いたような顔をして、身体をひねって僕を正面に捉えた。

「お前も、彼女欲しかったりするのか」

「…………どうかな。とりあへず、今は興味ない」

「そっか」

 そのまま康平は、また身体を花火に向けた。大玉が破裂するたび、見上げるその横顔が色彩々(いろとりどり)に照らされ、いつもとは違った表情を映し出す。康平は時折だるそうに首を回したり肩を揉んだりしながら、規則的に綿飴を吐き出しつつ夜空を眺めていた。

「こうやって見ると、冬の花火も悪くないね」

「だろ。けどコイ ―― 」

 康平の言葉は肝心なところを全部、火山の噴火のようなクライマックスに飲み込まれた。わざとらしく肩で溜め息をつく格好をした彼は、そのまま腕を頭の後ろに組んで足を投げ出し、土手の斜面に寝転がった。僕も真似をして横に寝そべった。ジャケットの中の暖かい空気が抜けて背中が一瞬で冷えたが、今度は平気だった。

 轟音と震動が僕らを包み込み、五感を麻痺させた。間断なく打ち上げられる尺玉は、沸き上がる歓声を呑み込み、夜空の黒を侵食し、闇を焼き尽くしていく。

 やがて全ての花火は命尽き、辺りには火薬の匂いと煙がうっすらとたなびいていた。僕らはその後も数分、冷えた大地に張り付いていた。押し潰されそうな星空に息苦しさを覚えながら、僕は刺すような空気を胸いっぱいに吸い込んだ。その横で康平が盛大にクシャミした。僕は腹を抱えて大笑いした。康平は何か訳の判らない言葉をゴチャゴチャと大声で言って、それから鼻をすすりながらもぞもぞと起き上がった。

「ほら、お前も風邪引くぞ。帰るか」

「一緒だね」

「あぁ?」

「みんな、おれたちと一緒だ」

「……」

「あの時康平言ったよね ―― 蝉も、おれたちも、花火も、一緒だ」

「 ―― ほら、帰るぞ」

 目の前に差し出された大きな掌を頼りに、僕も起き上がった。背中から、枯れきった下草が力なくぱらぱらと落ちた。辺りは何事もなかったように、しんと張り詰めた空気が支配する夜に戻っていた。時折パッチワークのような白い綿飴が、所々で生まれては消える。

 寒いけど寒くない。冷えているけど暖かい。おれたちは一緒だ。

「げ、雪」

「ほんとだ。道理で寒いわけだ」

「マジかよー聞いてねーぞ。降るなんて言ってたか?」

「さぁ。この雪、積もるかな」

 僕が一人丸々入ってしまいそうなグラウンドジャケットをしっかりと身体に巻き付け、康平は来た道を先に歩き出した。はぐれないように、僕もその後を小走りに着いて行って、またふたり並んで歩いた。

 特に何も話はしなかった。



----- (c)紅蓮, 2009.12. / 2013 井上きりん -----




作者の井上きりんです。

「夏の終わり」シリーズ全3作の完結編となる作品です。第1作で康平が気付いた真琴の身体のこと、その康平の勘の良さや気の利く性格など、相変わらずの漠然としたやり取りで綴りました。お互い入り込みすぎず離れすぎず、とてもいい距離感を保った、これこそ理想の親友の在り方かなと思います。

人は自分の理解を超えた事実を知ると腫れ物に触るように態度が変わる事がありますが、相手の本質をどれだけ知っているか、相手とどれだけ本気で接しているかで、そこはクリア出来る問題でもある筈です。


ぼくのお気に入りのやり取り――判り難いかも知れないのでちょっと解説を。

 康平:「なぁ、いつから?」
  (……いつから女だった?(いつから男として生きてた?))

 真琴:「ん? だからずっとだって」
  (……遺伝子は初めから女だって夏に言ったでしょ?)

 康平:「いや、そうじゃなくて」
  (……そっちのことじゃなくて)

 真琴:「うん。ずっとだよ」
  (……わかってる。生まれたときから男として育ってきた。僕は男だよ)


以上、あとがきのようなひとことでした。



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