■どうやらオレは一度死に掛けたらしい

 

オレは幽体離脱したことがある。再現ドラマなんかでやっている、部屋の隅から自分を見ているという光景――あれは映像独特のステレオタイプな演出だと思っていた。霊は部屋の隅に溜まりやすいとか何とかいうのも、どうせ口裂け女的な都市伝説だろうと。でも実際オレは部屋の隅の、それも上の方から、意識無く横たわる自分とその周りの人達の様子をしっかりと眺めていた。

どうやらオレは一度死に掛けたらしい――


~・~ ~・~ ~・~


それはオレが中2の頃。冬休み直前の最後の日曜日だったか。ちょうど今頃だった。

その日は親父が久々の休みで、朝から家族で近所のスケート場に遊びに行っていた。意外と器用だったオレは、大した経験も無いのに親父の後に着いてすぐコツを掴み、昼食もそこそこに、楽しくて夕方まで滑り倒した。

帰りに近所のスーパーに、晩飯の買い物に立ち寄った。母親は一人買い物カートを押し、オレはぶらぶらとする親父にくっ付いていた。

程なくして、とてつもない脱力感に襲われた。『万年眠たい病』と自分でも言うほど常に倦怠感が人より強かったオレは、流石に滑りすぎたかなと思ったが、直後少し気分が悪くなった。

「パパ、気持ち悪い」

文字通り親父の腕にぶら下がるようにしがみ付いた。

足が異様に重くなる。周囲の音の感覚がおかしい。目の前が白くなっていく。息が詰まる。左手をしっかりと親父の腕に絡ませたまま、すぐ脇にあった缶詰のワゴンに右腕を掛けた。いや、突っ込んだ。

咄嗟に親父がオレを引っ張り上げる。14歳にして35キロそこそこのオレの身体は親父にはあまりに軽い。オレも立とうと何とか右腕に力を入れようとするが、缶詰を無闇にかき回しているだけで足は立たない。

「ママ! ママ! ヒロが」

親父が母親を呼んだ。彼女は2列ほど向こうのコーナーにいたらしく、いつも買い物しているといなくなる親父に機嫌が悪い。

「何やの大きな声出してみっとも無い ―― どうせまた急に眠なっただけやろ、外に放り出しとき。まだ買い物あるから」

そう言い捨てて母は踵を返した。言われた親父は一言「歩けるか」とオレの両脇を抱えながらどこかへ向かった。

そこで一度、オレの記憶は途切れた。


~・~ ~・~ ~・~


何とか立っていた。いや、親父にぶら下がっていたという方が正しいか。とにかくオレは、師走の買い物客で混み合うスーパーの外で、親父に抱きかかえられるようにして母親が出てくるのを待っていた。

車の往来の音、空気の感覚、行き交う人の声、それらを何となく感じてうっすらと目を開けた。しかしそこでまた電池が切れた。「あぁあぁあぁ…」頭上の親父の声が遠くなった。

今度は完全に力を失い、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。足元には夕立で出来た小さな水溜りがあった。事もあろうにそこにしりもちをついたのだ。

履いていたジーパンに水が染みてくる。しかし冷たいという感覚は、意識と一緒にすぐに薄れていった。


~・~ ~・~ ~・~


「私非番の看護師です。店の方が探されていたので名乗り出て来ました」

母親より少し年上らしい女性が、スーパーの店員に連れられて姿を見せた。どうやら店内放送か何かで医療関係者を呼び出してくれたらしい。

スーパーの出入り口には四方ガラス張りの8畳ほどのポーチが設置されていて、両サイドには観葉植物の植木鉢と、黒いビニール張りの四角くてちょっと良さげな休憩用の椅子がいくつか並べて置いてある。オレはその椅子に仰向けに寝かせられていた。周りには野次馬というか様子を心配した人というか、とにかく数名の買い物客が覗き込んでいた。親父はオレの頭側にいた。

「とりあへず横向きに寝かせなおしてください。腕は胸の前で組ませて」

「バスタオルを2・3枚持ってきて、それを胸に抱かせて」

「救急車は呼びましたか」

彼女は流石にてきぱきと周りに指示を出していく。店員らしき人が慌ててタオルを抱えて戻ってきた。頭の下と胸元にタオルが挟まれた。

「さっきお店の方から電話したんですけど、救急車まだ来ないんです」

「もう一回電話して! 倒れてどのくらい」

「10分か15分くらい」

「それまでどうしてたんですか! 早く連絡しないとだめでしょう!」

看護師の女性は親父を含めた周りの大人たちに容赦なく喝を入れながら、オレの肩を叩いてみたり大きな声で呼んだりして状態を観察していく。聞こえたら手ぇ握ってごらん? 指動かせる? 目ぇ開けられる?

勿論オレは聞こえても見えてもいるから、言われた通りに身体を動かしてみようとする。しかし目は一向に開かないし、指はピクリとも動かない。それどころか、自分の身体なのに何処をどう動かせばいいのかも、何処に腕があり指が何処にあるのかさえ、まったく感覚がなくなっていた。

その時ふと、自分がポーチの天井辺りからこの様子を眺めていることに気付いた。自分の目が開いていてこの様子を見ているのではない。明らかに、自分の横たわっている姿を第三者的に見下ろしていたのだ。

とそこへのこのこと、買い物を終えた母親が登場した。目の前で繰り広げられている、我が子を取り巻く状況に、あからさまに大袈裟だと言わんばかりの迷惑そうな顔をした。

「あなたこの子のお母さんですか? 今まで何してたんですか子供が倒れたゆう時に買い物してる場合と違うでしょう!!」

すごい迫力だ。昔入院していた時も、看護師さんにはよく叱られた。やはり今でもどこでも誰でも、看護師は厳しくてハッキリと物を言うものだ。

そんな彼女に圧倒されたというよりは、明らかに気分を害したというように母が口答えした。

「そんな事言われても、買い物の途中やったんですから仕方ないやないですか」

その言葉には耳も貸さず、看護師の女性はオレの胸元辺りにしゃがみ、口元に手を翳しながら言った。

「目に斑点が出てますし、唇もチアノーゼが出てます。手先もつま先も冷たなって硬直しかけてるし、脈も呼吸もだいぶ弱いです。もう今すぐ病院に連れて行かないとだいぶ危ない状態ですよ。救急車はまだですか!」

「あと6分くらいで着くそうです、空いてなかったらしくて」

「遅い!」

誰に言うともなく、彼女の声が少し荒くなった。

「足やら手ぇやらさすってあげてください。毛布も掛けて体温逃がさんようにして」

周りにいた人達がわらわらとオレをさする。こそばいような、でも実は感覚があるかどうか判らないまま、天井のオレはその様子を眺めていた。

「息して!!」

突然叱られた。いや、叱られた訳ではないが、それでも確かに大きな声で命令された。オレはびっくりして大きく息を吸った ―― つもりだったが、ちゃんと呼吸出来ていたかは定かではない。

その深呼吸とほぼ同時に救急車が到着した。ストレッチャーの騒々しい音、周りの人のざわつき、救急隊員の大声。看護師の女性が手短に状況を説明している。

ストレッチャーに身体を移される直前、天井にいたオレは一瞬にして本体に吸い込まれた。


~・~ ~・~ ~・~


救急車が向かった先は、地元で有名なヤブ医院だった。地域で救急搬送の対象になる病院は当時3件。救急車に一緒に乗り込んだ母親に、救急隊員がどこか希望の病院はあるかと聞いている。特になければ、自動的にこのヤブ医院に搬送される仕組みらしい。母は「どこでも」と答えていた。

内心オレは、昔入院していた大学病院があるだろうが、とツッコんだ。普段から親に対して、特に母親に対しては口答えどころか自分の意見さえも主張できないオレは、動けないことを理由に頭の中で盛大に悪態をついた。

そう言えば、いつの間にかまた音が聞こえている。先刻(さっき)のように上から目線で見えているわけではないが、明らかに耳の感覚は戻ってきているらしい。

救急車はかなり乱暴な運転で先を急いでいるらしく、オレは何度か頭のてっぺんを壁のようなところに押し当てられて痛かった。ということは、痛みや他の感覚も戻ってきているということか。それでも目は開けられないし、手も動かない。声を出そうにも、出し方は解らないままだ。

頭がぐらんぐらん揺れる。どうやら病院に着いたらしい。一般道から急カーブで、上り坂の途中にある正面ゲートを入っているのだろう。オレ病人やぞー、もうちょっと丁寧に運んでくれよー腰が痛いぞー、などと状況を推測しながら色々と頭の中で返事したりツッコんだり、この頃には意識だけはかなり活性化してきていた。

ストレッチャーのままエレベーターに乗せられる。救急処置室は2階より上か? などと考えながら振り回されるようにかなり乱暴に運ばれていたら、処置室の入り口あたりの僅かな段差を乗り越えたのか、身体が小さく跳ねた。その弾みで不意にオレの目が両方とも開いて、頭の方で押していた看護師とバッチリ目が合った。

「わ、びっくりした! 目ぇ合うたわ」

そこからはもう何が何だかよく覚えていない。色々質問を浴びせられるゎペンライトで照らされるゎ血は抜かれるゎ血圧計は巻かれるゎ―― 。

オレを診た医師は新米らしい若くて頼りない男性で、ここでも看護師の方が勢力的に上だった。なにやら分厚い本を開いて考え込む彼の横で、まるで指導者のように看護師がテキパキと指摘を入れている。まぁ、年齢からしても看護師の方がずっと上だったから仕方なく思えたが。

検査の結果は、低血糖による意識消失と自律神経失調。

医師は、自分は専門が外科だから、と断った上で、どちらが引き金でどちらが結果かは判らないが、成長期の子供さんにはよくあることです、と濁した。成長期の子供はよく死にかけるのか? 何とも曖昧で釈然としない物言いに、だからK大に行けばよかったのに、とオレは心の中で舌打ちをした。


~・~ ~・~ ~・~ 


53、という数字だけをはっきりと覚えている。血圧なのか、心拍数なのか、血糖値なのか、どれもあり得そうでよく解らない。が、とにかくオレの何かが「53」だったことだけは、妙に記憶に残っている。

今になって思えば、低血糖で意識消失したのなら血糖値は50を切っていただろうから、恐らくは心拍数あたりだろう。今でもオレは、横になると心拍数が50を切ることがある。普段から56程度だ。血圧が低すぎて脳虚血発作を起こしたとも考えにくい。確かに血圧は子供の頃から低く、小学2年生で収縮期血圧が96しかないのはちょっと心配だと、水泳のコーチが親に話を聞いていたことがある。当時と今と、血圧は上下ともほとんど変わっていない。

結局のところ、この一件が低血糖による意識消失発作だったのかどうかは定かではない。しかし干支を3巡する頃まで、健康診断では大概、血糖値は規定値の70に達せずイエローカードだった。常に飴を隠し持っていた。

何かにつけて規定外だったオレの身体。この日以来、オレの体質は変わった。体質変動の最初の時期だったのかも知れない。

この後、中学を卒業するまでに2回、学校で軽い意識消失発作で倒れた。高校に入ってからはこれに過呼吸が加わり、一層自律神経失調じみていく。原因不明の意識消失はミレニアム直前まで続いた。軽い心臓弁膜症も見つかった。更に遺残弁があり、そこで血流がとぐろを巻くことで不整脈が起き易いとも言われた。素人考えながら、ほぼ子供のままの体格で大人並みの行動をし続けたことで、オレの色々な機能が少しずつオーバーヒートしていったのだろう。

今になって、これらは結局線維筋痛症の随伴症状だった可能性が高いことを知ることになる。



 (c)井上きりん, 2013 ~ブログ書き下ろし~



G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。