■交差点の花嫁

ずっとあなたに いて 行きます





 半分寝ながら歩いていた僕の横を、ものすごいスピードで何かが通り過ぎた。そして数メートル先のフェンスに勢いよくぶつかり、一度大きくしなった上で跳ね返って地面にベシャリと落ちた。そしてゴロリと1回転がり、動かなくなった。僕は状況が全く理解できないまま、そちらに釘付けになった。直前、トラックのクラクションが激しかったので、初めは近くで接触事故でも起きて積荷が飛び出してきたのかくらいに思っていた。

 フェンスとその周りの道路には、赤いペンキをぶちまけたような染みや何かが無数に飛び散らかっていた。地面に投げ出されている大人くらいの大きさのそれは、同じ色の染みを纏い、上半分と下半分が反対を向いて、赤い地面の上に横たわっていた。人だった。

  ―― あ。

 僕はそれの前にしゃがみ込んだ。知っている顔だった。経理事務の剣持さん。職場の2期先輩で、同じフロアの隣の島にデスクがあった。表情にあまりレパートリーのない、目立たない人だ。

  ―― 剣持さん、おはようございます森本です、剣持さん、どうしたんですか、血まみれですよ剣持さん、ねぇ剣持さん ――

 僕は、おかしな方向に投げ出されている彼女の腕を軽く叩いて声を掛けた。マネキンのように転がっている顔を覗き込んだ。彼女は美人ではないが、別に不細工でもない素朴な顔立ちをしている。これといった特徴はない剣持さんの顔は、地面に着いた方が潰れて片目が飛び出し、とてもインパクトのある表情をしていた。

 そう言えば、何となく周りが騒がしくなってきた。僕の後ろからオッサンが覗き込んでいる。携帯を掛けている人がいる。動画を撮っている馬鹿がいる。メールしている阿保がいる。

  ―― そのねーちゃん、死んでんのか

  ―― そうみたいですけど、僕医者じゃないので

 見れば明らかな状況を前に、オッサンが僕に聞いた。不毛な会話は避けたかったので、僕は適当に答えた。会話に体育の笛が割り込んできた。路肩に、赤色灯を乗せたパンダが2台停まっていた。制服を着た人たちが手際よく位置に着いた。1人が僕に近付いてきて声を掛けた。少しして白いワゴン車もやってきた。僕は冷静に分析しながら、彼女が飛んできた時の事を判る範囲で警察に話した。

 よくぶつからなかったよな、とようやくこの時思った。


・・・・・ ・・・・・


 まただ。

 職場の後輩の森本君が、毎朝同じ時間、同じ交差点に立ち止まり、昔懐かしい牛乳瓶に花を挿して手を合わせている。交差点といえば事故の確率が多い場所だ。最近ここでも、誰か死んだのかしら。

  ―― おはよ

 神妙な背中に普段通り声を掛けるが、顔を上げない。少し寄ってみたが気付いてもくれない。元々無愛想というかどこか掴み処の無い奴だけど、先輩の挨拶を無視するなんて、ホント最近の若い奴らはどういう教育受けてきたのかねぇ。

「剣持さん」

  ―― あ、はい?

 なんだ、聞こえてるんじゃないの。反応鈍いわねぇまったく。

 しかし彼は手を合わせたまま、私ではなく花瓶の花に向ってポツリと話し出した。

「花に喋ったところで剣持さんに通じるわけじゃないけどね ―― 剣持さんが居なくなってもう1週間なんですよね。まだ実感湧かないって言うか、現実だったんだって、やっと今頃ショック受けてるって言うか。落ち着いてから初めて、今まで毎朝、剣持さんがぶっきらぼうに挨拶してくれてたのがやたら大事なものだったって気が付いて。『失って初めて気付く』ってよく言うじゃないですか、あれ、ホントですね ―― 未だ、1週間なんですよね」

  ―― ぶっきらぼうな挨拶で悪かったわね。職場ではあれが精一杯なのよ。私人付き合い苦手なの。っつーか、私先刻からずっとあなたの傍に居るんですけど。

 小さく丸まっている背中に爆弾でも落としてやろうかと思ったが、途切れ途切れに聞こえる彼の言葉に、やがて私は度肝を貫かれた。一瞬視界が暗転し、気付くと私は、4車線道路の中央分離帯をまたぐ横断歩道の中洲にぽつんと立っていた。点滅する光。けたたましい音。

  ―― あぁ、そうだった ――

 無数の青い光が、いっせいに私の周りで点滅し始めて。中州でケータイをいじっていた私は、それを合図に慌てて一歩踏み出して。右側から、けたたましい音がものすごいスピードで近付いてきて。振り向いたその直後。パンという乾いた大きな音がして。全身に衝撃を感じる間もなく、それから後は覚えていない。

  ―― そうか。あの時、私、死んだんだ ――

 冷静に考えながら、暫く気持ちが混乱した。激しく深い虚脱感が実体のない全身を襲った。私、死んだんだ。そうか、死んじゃったのか。


 ……なにぃ?! 死んだぁぁぁぁぁっ?! ちょ、ちょっと待ってよ、死んだって……死んだって、私未だ死ねないんですけど ―― いゃ、死んじゃったんだから死ねないとか言ってる場合じゃないんだけど ―― でもちょっと待ってよ! まだまだこれからだって言うのに、仕事もやっと慣れてきて、せっかく後輩も出来て、これからだって言うのに。私未だ26だよ ―― まぁ、旬は過ぎちゃったけど ―― でも、人間的にも女としても成長はこれからじゃん! うっそ、マジでぇ? どうしよう……ったってどうにか出来る状況じゃないけど……森本君はなんか独りで浸ってるし、こいつに私見えてないみたいだし……当たり前か。

 もぉぉぉぉぉぉ、嘘でしょ ーーーーーーーーっ!


 誰にも見えない私は何とか森本君にこの状況を伝えようと、じたばたしながら策を巡らせた。でも混乱しすぎて何も思いつかない。ただただジレンマに陥って、挙句の果てには、路傍の花とお話するアブナイ人になっている森本君を、ただ憐れんでしまった。

 まさかコイツ、コワレてないだろうな……

 彼の湿ったオーラが私にまで感染ってきて、爽やかな朝にも拘らず、テンションががた落ちしてしまった。相変わらず森本君は花とお話している。

「剣持さんが居なくなって初めて自分の気持ちに気付くなんて、俺、小学生のガキみたいっスよね。でもね、俺、剣持さんの事好きだったんだなぁって。気になってるだけだって思ってたけど、やっぱ俺、好きだった、みたいっス」

 お花相手に森本君は、そんな事をさらっと言ってのけた。

 うそ……森本君って、今年の新人の中では一番パッとしないヤツっていうか、いつもボーっとした感じだし、声も小さいしシャキッとしないし……あ、でも実はナチュラル系って言うか、お茶目なところがあったりするんだよね。でもなぁ、そろそろ1年経つんだから、せめて伝票の書き方くらい覚えて欲しいのよね……ってもう私、経理やらないんだけどさ。でもまぁ、そんなちょっとヌケた所が後輩としては可愛かったりして、私もちょっと気にはなってたっていうかその……でもまさか、森本君が○△◇なんて、今の今まで知らなかった。だってコイツ、何があっても全っ然表情変わらないんだもん。

 今こんな所で告白されてもなぁ、何で今頃言うかなぁもう……って、私だって黙ってた訳だし。あぁもぉ、何でこうなるのよ! 生きてるうちに言っとけば良かったぁ、でも私そんな度胸ないし……ってもう死んじゃったんだから考えても意味ないじゃん、あーつくづく私って不幸すぎるー運なさ過ぎじゃない一体どーすればいいのよぉ私の想いは伝えられないまま、森本君は片思いと思ったまま、この恋ははかなくお互い人生悲劇のまま終わってしまうの?

 そんなぁ ―― ……

 と。

 途方に暮れる私の頭の中で、豆電球が点った。

  ―― あ、そっか。そうだよね。私、まだここに居る訳だ。そぉっかそっかぁ。

 ってことはさ、せっかくだからお言葉に甘えて。今ここで君のその言葉、プロポーズと受け取らせていただきましょうか。形はどうあれ、私もう白装束着ちゃったわけだし。あなたのその気持ち、しっかと受け止めるわ。

 よし、決めた! これでお互い恨みっこなし、双方丸く収まるってもんよ。

 森本君、ありがとう。私も実は君の事、好きでした。

 だから。


 これから私、ずぅっとあなたに 憑いて 行きます ――



----- (c)紅蓮, 2009.10. / 2013 井上きりん -----







どうも、井上きりんです。

この作品は、一応コメディホラーと自分では思っておりますが。ちょっとオヤジギャグ的に「憑いていきます」ってのが、ホラー駄目な方にもイイかと思って。とか言いながら冒頭結構グロかったりするんですけどね。

ホラーは苦手だけど、この作品は好き!と言っていただいた読者さんもいらっしゃいました。

自身最初の本気ホラーは『白昼夢』が初めてです。「もういいかい」は朗読ライブでやった時、怖すぎて耳塞いだお客さんが居た……(^^;)

お読みいただきありがとうございました。


井上きりん



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