■夢で逢いましょう



 一時期、僕はほぼ毎晩同じ夢を見ていた。

 画面はちょうど写真のような横長の四角で、色は何故かセピア色。夕方少し前くらいだろうか、斜め前方から弱々しい光を感じる。

 運動靴の裏に細かめの砂利の感触があって、歩くと確かにグザリグザリと耳障りな足音を作っていた。いびつな三角形のその場所は周りを低めの防風林に囲まれ、同じくらいの年恰好の子供たちが数人、遊具に群がって遊んでいる。その奥に本物の電車が1車輌、ただでんと置いてあった。特に物珍しいデザインでも画期的な車輌でもなさそうだが、車体の下は、すっぽりと子供を飲み込んでしまうくらいの広さと高さがあって、まるでずっと奥に続く別世界の入り口か何かのように暗かった。

 僕は両手を引かれてその公園を歩いていた。左手は母親、右手は多分叔母だったと思う。ふたりはぼくの頭上で夢中でおしゃべりしている。大人の歩調に引き摺られるようにして僕は歩いていた。

 そのうち僕は足が縺れ、こけた。右手も左手も、ふたりからするりと抜けた。そして砂利の上に腹這になった。

 地面すれすれから顔を上げた。僕の手が離れた事に気付いていないのだろうか、ふたりは何事もなかったように同じ格好で歩いていく。

 僕は必死でふたりを呼んでいたと思う。

 だが自分の声も、ふたりの声も、一切聞こえなかった。ただ歩いていく後姿があった。

 そこで眼が覚めた。


・・・・・ ・・・・・


 事もあろうに職場の健康診断で再検査に引っかかった。すっぽかす訳にもいかず、僕は午後から仕事を切り上げて、指定の医療機関に出掛けなければならなかった。どうせなら初診と同じ病院にしてくれよ、と心の中でブーイングしながら、普段まず使うことのない在来線の駅に降り立った。

 旧国鉄の面影を存分に残す、狭いプラットフォームと橋上駅舎。中途半端に開発され取って付けたようなモニュメントが立つ、旧市街地のターミナルだったらしいその駅前で、網目のように広がる道路を前に、僕は額に手を当て天を仰いだ。

「勘弁してくれよ」

 再検査の通知書に同封されていた地図は至極簡素なもので、超ド級の方向音痴には余りにも不親切極まりなく、結局僕は駅の周辺を無駄に彷徨う破目になった。

「あれ、ここは」

 訳も判らず闇雲に駅の周りを一周したらしい。先刻は防風林で隠れて見えなかったが、駅のちょうど裏側に小さな空き地があり、そこに申し訳程度の子供用の遊具が数点と、その奥に本物の電車が1車輌、かなり風化した状態のままでんと据えられていた。

 見覚えがあった。昔よく夢で見ていた場所だ。本当にあったんだ ―― 僕は自然と足を止めた。何度も繰り返し夢で見たあの公園。間違えるはずはない、刷り込みのように何度も何度も同じシーンを見飽きるほど見ていた。広さと言い、三角形の角度と言い、それは正に夢で見た景色と寸分違うことなく、今僕の目の前に在った。実際来たのは初めての筈だが、何となく懐かしさすら覚えた。或いはもしかすると、昔自分はここに来た事があるのだろうか。しかしこの辺りは確かに地図でしか知らないし、この近所に知り合いも居ない。叔母もこの辺りの人ではなかった。

 暫く風景に意識を奪われていると、3歳くらいの男の子が、母親にしては明らかに未熟な女性とその姉らしき人に両手を引かれて入ってきた。大人二人はそれぞれ空いた片手に携帯を握りながら、詰まらない話をさも重要そうに声高に喋り散らしている。その歩は明らかに大人のもので、挟まれている男の子は時折大人たちの顔色を伺いながら必死に着いて来ている。いや、僕には引き摺られているようにしか見えなかった。

 男の子がこけた。見事にベタリと、コントのように正面から地面に腹這になった。あれは顔を強かに打ちつけたに違いない。泣き出すのではないかと心配したが、それより僕は大人たちが気になった。そのまま行ってしまうのではないだろうか。子供が這いつくばったまま、置き去られるのではないだろうか。

 こけた男の子は暫く声もなく、その場にベタリと腹這になっていた。そしてようやく自分の身に起こった事を理解したのか、火がついたように泣き出した。男の子だろ、それくらい我慢しろよと思うより先に、大人二人のリアクションに興味が注がれた。

 しかし僕の期待は見事に裏切られた。寧ろ若い母親はすごい剣幕で男の子を見下ろし、自分で立ち上がるのを仁王立ちして待ち構えていた。やがて愚図る息子の腕を無理矢理引っ張り上げ、あらん限りの罵詈雑言を撒き散らしてその場から足早に立ち去った。

 やり方に少々問題はあったが、僕はホッとした ―― そうだよな、これがホントなんだよな ―― なら、あの夢はなんだったのだろう。妙にリアルで理解に苦しむアレは、一体なんだろうか。確かに夢は大抵の場合、支離滅裂で訳が解らないものではあるが。

 身に覚えはない。しかし夢があまりにリアルすぎる。夢と言うより、そう、これは記憶だ。子供は一瞬の出来事を、まるで切り取った写真のように覚えていると言う。脳の記憶力は不可測だ。そしてこの場所が、夢と全く同じ場所が今目の前に存在している。25年も殆ど変わらず、この場所は存在し続けたことになる。自分の再検査も、恐らく何かの縁に違いない。僕は自分の中に、自分の知らない別世界が真っ黒い口を開けて広がっているような気がした。そしてこの公園が、そこに繋がる入り口だとしたら ――


 妙な胸騒ぎを抱いたまま、僕はその公園の風景をもう一度目に焼き付け、再検査へと向った。



----- (c)紅蓮, 2009.10. / 2013 井上きりん -----



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