■蝉の記憶 ~夏の終わり side-B

畑の広がるど真ん中に無遠慮に伸びる、1本のアスファルト道路。いつまでも続く軽い傾斜が、僕に負担を強いる。前方に逃げ水を見つけ、僕たちの足取りは更に重くなった。

立ち止まり深呼吸する。2人分のカバンを持って、行き過ぎた康平が振り返りざま声を掛ける。そんな事を何度か繰り返し、僕たちはあの場所に差し掛かった。

「あそこだったね」

「あ?」

「ほら、オジサンが蝉蹴ってたの」

「あぁ」

気のない返事を一つして、康平は「大丈夫か」と僕を気遣い、日陰を作るようにまた少し前を歩き始めた。

「ねぇ康平。あの時お前さぁ ―― 」

突然、それまで殆ど凪いでいた風が、ふたりの間を勢いよく吹き抜けた。康平は咄嗟にカバンで、僕は両腕で、舞い上がる土埃を防いだ。

髪と服の乱れが収まり、ようやく顔を上げた時、康平が素っ頓狂な声を上げた。

「あれ、こんな所に森なんてあったっけか」

視界良好な直線道路の端に居た筈の僕たちを、生い茂る樹木が取り囲んでいた。蒸せ返る様な空気はひんやりとした冷気に変わり、何処かしら神聖な、不思議な空間が広がっていた。

「―― アヤカシの森」

「は?」

「霊にとり憑かれた人とか、霊感の強い人だけが迷い込むっていう ―― 聞いたことがある」

「おいおい、何でオレまで」

「ねぇ康平、お前、霊感 ――」

「んなモンあるワケねーだろ」

「だよね。じゃ、やっぱり僕か」

僕は小さい頃から、何かとお呼びが掛かる体質だった。子供はそれなりに敏感だと言うが、僕の場合、中学に上がっても、高校生になっても、その体質は変わりなかった。というより、別に霊と仲良くなる訳ではないが、成長につれて経験値は確実に上がっていった。

僕と康平はまるで忍者が敵の奇襲を迎え討つように、無意識に背中を合わせて立っていた。康平の大きな背中に緊張を感じながら、僕は小さく深呼吸をして策を練った。

「とりあへず、ココから出なきゃ。ココは異世って言って、僕たちが本来いる世界とは時間の流れも概念も全く別物なんだ。人間が居ていい世界じゃない」

「真琴……お前、なんかカッコいいぞ」

「なにが」

「なんか、すげー頼もしい」

「ナニ言ってんの。康平がだらしないだけじゃない?」

「うるせ」

「とりあへず康平、ちょっと黙ってて」

「……」

気持ちが高ぶっているのだろう、いつもよりちょっと口数の増えた康平を捩じ伏せて、僕は全神経を耳に集中させた。眼を閉じると、突然周囲の音が異様なほど大きくなり、身体全体を通して僕の骨を響かせた。まるで突き刺すような蝉の声。

「……ト……コト……マコ」

「ちょっと待って」

「なぁ真琴」

「待ってってば」

「おいって」

「んもぅ、何」

康平の大きな声が僕の集中を乱した。肩越しに見上げると、康平は前方をじっと見据えたまま身じろぎ一つせず、半ば硬直していた。その小刻みに動くこめかみを、大粒の汗が流れる。辺りを窺い、声を殺すようにして、康平が口を開いた。

「気付いてるか」

「なにが」

「音だよ」

「音?」

そこで康平は、無理矢理唾を飲み込んだ。静かに喉元が上下した。僕はもう一度、深く息を吸い込んだ。

「ここ、一応森だよな。ってことは普通、風の音とか、鳥の声とか、そういうのが聞こえるよな。でもここ ――」

「蝉の声しか聞こえない!」

そうか! この森は ――

「康平、こっち!」

僕は康平の腕を掴んで走り出した。何度か足がもつれて転びそうになりながら、それでもただ必死に、康平の腕を掴んで走り続けた。

走っても走っても、蝉の声の大きさは変わらない。張り付くようなその声は、寧ろ数が増えているようにも感じた。それでも僕は、直感で走り続けた。たった一つの声が、僕を導いていた。


■ ■ ■ ■ ■


かなり走っただろうか。突然視界が開けたかと思うと、そのまま僕たちは丘の斜面を転げ落ちていた。何度も何度も空と地面が入れ替わり、やがて何かにつっかえてやっと止まった。

「大丈夫か、真琴」

「うん ―― 何とか大丈夫みた ―― 痛ッ!」

どうやら左足を捻挫してしまったらしい。立ち上がろうとして鈍い痛みが一瞬走った。

「おい、ここ」

うずくまる僕に手を差し伸べながら康平は言った。やっと周りを見る余裕が出来た僕たちは、制服の泥を掃うのも忘れて暫く呆然と辺りを眺めた。

1本の道路の周りに畑の広がる、通い慣れたいつもの通学路。先週の部活帰り、蝉を蹴っていたオヤジを見つけた、あの場所。その道路脇のほんの1m程の高低差の土手の下で、僕たちは泥んこになっていた。

「ふふ、やっぱり」

「やっぱりって、何だよ真琴」

康平の肩を借りながら、僕はゆっくりと土手を上がった。

「先刻の森は、蝉の記憶だよ」

「蝉の記憶?」

「覚えてる? 先週の事」

「あ?」

「ここでオジサンに蹴られてた蝉が飛んだでしょ。その時康平、何て言ったか覚えてる?」

康平は軽く眉間にシワを寄せて宙を見た。覚えているのかとぼけているのか、察しがたい表情だった。

「きっとあの時の蝉が、康平に逢いに来たんだよ」

「セミが? 何で」

「さぁ。康平に伝えたい事でもあったんじゃない? でも康平には霊感がない。だから僕を通して、あの森に誘い込んだんだ」

「何だよ、伝えたい事って」

「さぁ。僕、蝉じゃないから解らない」

僕は捻った足首をゆっくり回してみた。幸い捻挫の程度は軽いらしい。康平の肩に回していた腕を解き、自分の足で立った。康平はそれを確認するともう一度土手を降り、投げ出されたままになっていたふたりのカバンを拾って戻ってきた。

「ね、あれ、どういう意味?」

「忘れた」

照れ隠しか、康平は泥が付いたままのカバンを僕に突き出した。受け取って、ふたりしてパンパンと叩いて汚れを落とした。

「歩けるか」

「うん、平気」

「おぶってやろうか」

「いらない」

「あそ」

康平は僕の頭をワシワシと掻き回し、それから僕たちはまたふたり並んで、オレンジ色に染まる空気の中をゆっくりと歩き出した。

特にコレといった話はしなかった。



----- (c)紅蓮, 2009.06. / 2013 井上きりん -----



どうも、作者の井上きりんです。「夏の終わり」シリーズ全3作のうち、この作品は2作目です。

「夏~」を書き始めた頃はまさか連作にするつもりもなく、他の短編を怒涛の勢いで書き綴っていたのですが、そんな中、とある作品をふと、登場人物を彼らにして描いてみたいと思ったのがシリーズ化のきっかけでした。
というのも、気に入ってるんです、真琴と康平。ぼくがGIDで改名する際にも迷わずここから取りました。「康平」はぼくが一番好きな名前です。どちらかというとキャラ的には真琴の方がぼくに似た感じではありますが。康平は人としての在り方の理想像というか、そういうものを具現化したキャラと言えるかも知れません。とは言え自分が生み出した自分のキャラクターですからね、どこかに自身が反映されている事は確かです。或いは希望の姿というか……。

彼らの会話は常にどこか漠然として掴みどころのないまま終わっていますが、3作目は更に漠然と曖昧としています。勿論意図的ですw


ぼくのお気に入りのやり取り――

「気付いてるか」
「なにが」
「音だよ」


以上、あとがきのようなひとことでした。

井上きりん2013-12-29



G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。