■白昼夢
居ないよ? とりかえっこしたから ――
「なぁ松原、今年の強化合宿、参加する?」
「いや」
「帰省か?」
「別に」
バイトの休憩時間に、同じ大学の林田がなにやら楽しそうに聞いてきた。
「なんだ、帰んないのかよ」
「だって、田舎ねーもん」
「へぇ、そなの」
林田は不思議そうに相槌を打った。
「ウチは代々関東だし、親戚一同関東在住だから、特に集まらなくてもちょっと車飛ばしゃいつでも行けるんだよ。それにウチの親戚はどこもあんまりベタベタしないっつーか」
「ふぅん、そういう奴も居るんだな」
林田は、次の講義の指導要領をうちわ代りに扇ぎながら、言葉を継いだ。
「オレなんか、盆暮れ正月は決まって祖母ちゃん家だな。一族郎党みんな集まってさ。あ、田舎って岩手なんだけど、いいぜ北は。東京(コッチ)より断然涼しいし、メシは旨いし、景色はキレイだし」
「この年になってまで、祖母さんにたかってんのかよ」
「別にいいじゃん、向こうも喜んでんだしよ」
林田は無邪気に笑って言った。俺は1/3ほど残っていた缶コーヒーを飲み干した。既にぬるくなっていて不味かった。
「ってことは、松原一族は集結する事がないのか」
「まぁ、葬式くらいだな」
「結婚式は?」
「俺が一番上」
「そりゃ、しばらく無理だな」
俺が何も突っ込まなかったので、林田の次の一手は不発弾に終わった。
「そう言えば……」
その時、次の講義のチャイムが鳴って、教室に生徒達がなだれ込んできた。林田は子供たちをはやしたてながらさっさと担当の教室に入っていった。話を振られておきながらその腰を折られた俺は、ちょっと凹みながら中学3年の数学の教材をかかえて、1つ上の階の教室に向かった。
***** ***** *****
担当するコマ数が同じだった林田と俺は、ほぼ同時に講師控え室に引き上げてきた。今日担当した分の講義日誌をつけ、欠席した生徒の自宅に宿題の連絡を入れる。そういった事務作業を30分くらいで終えた俺たちは、他に英語担当の講師1人だけが残っている控え室で、一服がてらの不味いコーヒーを口にした。
しばらくして林田が、飽きもせずさっきの話の続きを促してきた。俺的にはもう腰も折れてしまったのでその時点で終了していたが、特に断る理由も無かったので話し始めた。
「ここ2・3年、決まってこの時期にウチに来る親戚がいるんだよ」
「逆帰省とか」
「だから、親戚一同関東だっつったろ。確か埼玉の叔父さんの家族なんだけどさ」
「その親戚がどうかしたの」
「その叔父さん、ウチの親父の2人下の弟で、確か中学か高校の息子が一人居た筈なんだけどさ」
「そいつと逢った事あるんだろ?」
「2回くらいかな。まだ小さかったから、向こうは俺のこと覚えてないかもってくらい」
「へぇ。そんな親戚がまたなんで」
俺は何となく、この話はしないほうが良かったかもと思いだした。しかし林田はドラマのCM明けを待つように、無頓着に楽しげに次を急かした。
「来るって言っても毎年この時期の昼頃来て、親父と叔父さんが喋って、夕方には帰っていくんだけどさ」
「なんだ日帰りかよ。それじゃ遊べないじゃん」
「遊ぶとか以前に、俺ら喋った事ないし」
「マジで?! 有り得ねー! それ絶対おかしいって」
林田は即座に突っ込んだ。確かに他人から見たら、おかしな関係だと誰でも思うだろう。疎遠だった親戚が、突然毎年決まった時期に訪れるようになり、しかしお互い話をしない。遊びもしない。
「おかしいって言ったらさ、叔母さんと息子は全然顔出さないんだ。代りに小学生くらいの女の子がいつも一緒に」
「そーゆーの『親戚が来る』って言わないだろ」
「まぁ、そうかも」
確かに彼の言う通り、親戚の一部が親父に逢いに来ているに過ぎないこの状況は、一般的な認識とはかけ離れていた。
「で、まさかその女の子、そいつの隠し子とか」
「お前なぁ、高校のガキに小学生の隠し子……って、ここではそういう話は止めろよ。生徒とか塾長に聞かれたら訓戒モノだぞ」
「そーねー。失礼しました」
俺はふと現実に返り、声を落として林田を諌めた。林田は例の英語担当の講師を、積み上げた教材の隙間から盗み見た。顔こそ上げなかったが、恐らく耳はこっちに釘付けだ。塾長に密告しない事を祈ろう。
「で、その女の子って誰なの」
「知らない。最近突然一緒に来たし、話したことない。叔父さんも親父も何も言わないし」
「じゃぁ、お前から聞けばいいじゃん」
「って言うか、なんかそういう雰囲気じゃなくって」
「何だそりゃ」
俺も心の中では「何だそりゃ」と思っていた。自分で話しておきながら、言っている事が咀嚼できない。そんな話、林田には余計に訳が判らないだろう。
要するに、親戚とは言え何も繋がっていないのだ。まるきり赤の他人のようで、林田の方がよほど近い気がする。
青い女の子。俺はその子を勝手にそう名付けていた。毎年この時期に、青いワンピースを着て現れる。つばの広い麦藁帽子を目深にかぶり、大きなリボンを腰に巻いている。よほどそのワンピースがお気に入りなのか、決まったように毎年同じ格好だった。
塾の講師として小学生と中学生を受け持っておきながら、俺はあまり子供の相手が得意ではない。だからいつも親戚が家に来ても年下同士で遊ばせておいて、俺は大概部屋に引っ込んでいた。従って、元々疎遠な親戚一同に、更に溝が出来るのは不思議からぬ事だった。
***** ***** *****
英語担当の講師に軽く挨拶をして先に上がった俺たちは、生徒が使う表通りを避けながら、のらりくらりと最寄り駅に向かって歩いた。少し遠回りになるこの道は、無駄話するにはちょうどいい距離だった。
「お前、兄弟いる?」
俺はおもむろに林田に聞いた。
「おう。弟が2人とその下に妹が1人」
「へぇ。今時珍しいな」
「そうだな。だから余計、田舎に帰ったら祖母ちゃん喜ぶんだべ」
「お前、岩手が実家じゃないよな?」
「実家は銚子。大学は下宿してるから、家族と会うのも盆暮れ正月、祖母ちゃん家でって感じだな。里帰りと実家帰りが一緒に出来るって言うか、すぐ下の弟も全寮制の高校だから、祖母ちゃん家が集合場所みたいな。だから余計、帰省(カエ)ったら盛り上がるんよ」
林田は楽しそうに眼を輝かせて、無邪気に喋り続けた。そんな彼を、俺はいつも何となく羨ましく思っていた。少々粗忽な面はあるがいつも伸びやかに振舞う林田は、正直、俺から見ると本当にイキイキとしていた。
「兄弟がたくさん居る感じってどんなの?」
「そっか、お前一人っ子だっけ」
林田は少し優越感に浸ったような口調で言った。それを聞くだけでも答えは判りそうなものだった。
「俺は別に一人で全然いいんだけどさ、こればかりは体験しようが無いって言うか」
「そーだなぁ、すぐ下の弟は3つ離れの野球坊主であまり話合わないけど、2番目の弟とは7つ離れてるからそれなりに結構可愛いもんだな。妹も、すぐ下だったりしたらお互い変に意識したりとかあるんだろうけど、こいつとも11離れてるから逆に向こうが懐いてくれるし」
「え、そんなに離れてるんだ」
「すげーだろ」
別に林田本人が自慢する事ではないが、心底可愛い妹弟なのだろう。まるで初孫の話をする爺さんのように顔をほころばせて、話に熱が入っていた。
「11離れてるって事は妹さん、まだ9歳か」
そう言って俺は、ふと青い女の子を思いだした。彼女も見た目そのくらいだ。少し小柄だが、顔つきはしっかりしていた。取っ付きがたい印象が年より大人びて見せているのかもしれないが、仕草や振る舞いがちょうど小学生の高学年あたり、今受け持っている生徒より若干下、という感じだった。
「んでその親戚のおっさん、今年も来るの?」
「多分。明日か明後日来る筈」
「約束があるわけじゃないのか」
「知らないけど、明日からウチ、母さん留守だから」
「は?」
「毎年1泊2日で友達と旅行に行くんだ。その時に来る」
「おいおい、それってますますオカシくね?」
「そうか?」
林田は他人事と思ってか、無責任に勝手な想像をかきたてて独り楽しんだ。適当に挨拶をして、俺は駅前で林田と別れた。
***** ***** *****
予想通り、次の日の昼ちょっと前、例の叔父さんが家に来た。もう慣例になっていたので俺は黙って居間を空けた。部屋を出て玄関の前を横切ろうとしたとき、奥の部屋の扉に半身(はんみ)を隠すようにして、青い女の子が俺の方をじっと見ているのに気付いた。いつもならそのままやり過ごす筈が、何故かその時俺は立ち止まり、事もあろうにその子に声を掛けた。
「やぁ」
青い女の子は扉に軽く隠れるようにして身を引いたが、すぐにまたさっきと同じように俺を見つめ返した。
「なにしてるの?」
「なにも」
「いつもそうしてるの?」
女の子はコクッと頷いた。
「君、名前は?」
「ゆかり」
「いくつ?」
「10歳」
「そうか。俺は智樹(ともき)、大学生。よろしく」
未だ少し警戒しているのか、じっと俺を無言で見つめたまま、扉にしがみついている。
「そんな所に居ても暇だろ? 俺の部屋に来る? 何もないけど」
そこで初めて、彼女の眼の色がほんの少し和らいだ。ようやくしがみついていた扉から離れ、彼女は何かから逃げるように小走りに近付いた。そして今度は俺の腕にしがみついた。
この子は相当に人懐こいのか、或いはかなりのはにかみ屋なのかと、その時俺は思っていた。
ゆかりを部屋に案内すると、初めて見る書籍だらけの学生の部屋に、戸口でわぁっと小さく歓声を上げた。そして部屋の奥にベッドを見つけると、黙って俺の顔を見上げた。頷くと、絡めていた腕を解いてベッドに駆け寄り、ふわっと翻って座った。華奢な体がゆらゆらと2・3回上下に揺れ、それがオモシロかったのか今度は自分で足を揺すってみた。
俺は1階からとりあへずジュースとお菓子を適当に持って上がった。普段ろくにまともに子供の相手をしていないツケが、今頃になって現れたような気がした。俺はしばらく、ゆかりが一人で遊んでいるのをただぼうっと見ていた。
ゆらゆらに飽きたゆかりは、今度は部屋を見回した。10歳ならそこそこの漢字は読めるだろうが、それでも意味不明なタイトルばかり並ぶ本棚に視線を留め、しばらく不思議そうに眺め、それから外へと視線を移した。開け放したベランダからカーテン越しに、庭に停めてある叔父さんの白いセダンが見えた。
「そう言えば、お兄ちゃんは元気?」
俺は何気なく尋(き)いた。ところが彼女はベッドの上でキョトンとして、そのまましばらく俺を見つめて固まっていた。ややあってやっと解けた彼女は、また足を揺すりながらそっけない声で返した。
「居ないよ」
「あれ、おかしいな。確か昔、逢ったことある筈なんだけど」
「居ないよ」
ゆかりはブラブラさせていた足をすっと揃え、真っ直ぐに俺の目を見た。
「居ないよ。取替えっこしたから」
「取替えっこ?」
「ゆかりとその人、取替えっこしたの。智樹兄ちゃんには教えてあげる」
先刻(さっき)のはしゃぎ振りが嘘のように、ゆかりは俺をそう呼んで真面目な顔になった。そしてベッドから滑り降りるようにして、正面に座り直した。
「あのね。ゆかり、今日からこの家の子になるの」
「―― は?」
俺はたかだか10歳の子供が発する言葉の意味が、全く理解出来なかった。そんな俺の事は意に介さず、ゆかりは無邪気に淡々と続けた。
「智樹兄ちゃんの知ってるその人、ゆかりがあのウチに来るちょっと前に死んだの」
「死んだ?」
「うん。自分で死んだの」
「うそ ――」
「ホントだよ。ゆかりが妹だって知って、その人死んじゃったんだって。だから智樹兄ちゃんは死なないでね」
突然泣き出しそうな顔になって、ゆかりは身を乗り出した。俺は彼女の言葉の意味がさっぱり判らず、だから何とも答えることが出来ずに、ただ勢いに飲まれて頷いた。
それを見て一応安心したのか、ゆかりはまたストンと床に座り直した。
「智樹兄ちゃんはゆかりのお兄ちゃんなの」
「そりゃ、ゆかりちゃんは俺の親戚、だろうから」
「ううん、そうじゃないの。ゆかり、お兄ちゃんの妹なの」
「ゆかりちゃん、何、言ってるの」
「今日から本当の妹になるの」
「本当のって、訳判んないんだけど」
「ゆかりのママはほんとのママだけど、パパはほんとのパパじゃないの。ほんとのパパはおじちゃんなの」
「おじちゃん?」
「智樹兄ちゃんのパパ、ゆかりのパパなの。今のパパはおじちゃんで、ほんとのパパはおじちゃんなの」
まるで禅問答のように、そのあどけない口から俺の理解の範疇を超える言葉が滔々と溢れ出る。俺は汗の滲む額に軽く手を当て、ただ目の前の少女を呆然と眺めた。
彼女が叔父と一緒にウチに来るようになったのが2・3年前。その前にいとこが死んだとゆかりは言った。だが母方の祖母が6年前に他界してから、親戚内では誰の葬式も出していない。少なくとも、俺の知る限りでは。
***** ***** *****
いつの間にか陽は傾き、西日で部屋が赤く染まっていた。その中で、青い少女が無表情に笑っている。庭に停まっていた車は既に居なくなっていた。
咄嗟に俺は、弾かれたように立ち上がり部屋を飛び出した。ちょうど親父がどこかへ出掛けるところだった。
「父さんっ!」
階段から転げ落ちるようにして、玄関先の親父を呼び止めた。
「父さん! 叔父さんは?」
「あぁ、もう先刻帰ったぞ ―― なんだ、あいつに話でもあったのか?」
「ぃや、そうじゃなくて、帰ったって、独りで?」
「別に父さんが送ってやる必要もないだろう ―― なんだ、お前、一緒に行きたかったのか?」
「ぃや、いいんだ……別に何でもない」
「なんだ? ちょっとタバコ買ってくる」
呆けたようにそこに突っ立つ俺を一瞥し、親父はそう言い残してふらっと出て行った。何気なく玄関先に視線を落とした俺は、そこでやっと、ある事に気が付いた。ハッと我に返り、急いで階段を駆け上がった。だがそこにはただ、先刻と全く同じ光景があるだけだった。赤く染まった部屋のまん中で、青い少女が微動だにせず鎮座している。
俺はただ吸い寄せられるように、無意識に少女の目の前に腰を下ろした。少女はじっと、黙ったまま俺を見ている。或いは俺が死なないように、そうやっていつまでも見張っているつもりなのだろうか。
長い間、俺と少女は黙っていた。
そしてそのまま、俺の意識は長い永い白昼夢へと沈められていった。
------------ (c)紅蓮・井上きりん 2008.08 / 2009.06 改 ------------
0コメント