原点・原典に還れ


そもそも唱歌がどういう目的で作られたのか、日本の西洋音楽教育がどういう想いによって生まれ育ったのか、原点となる上申書をよぉく読んでもらいたい。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

《音楽取調掛(音楽学校の前進)創設に関し、伊沢修二・目賀田種太郎二名による連名で、明治十一年四月八日を以って文部大輔田中不二麿に提出された上申書》

 現時欧米ノ教育者皆音楽ヲ以ッテ教育ノ一課トス。夫レ音楽ハ学童神気ヲ爽快ニシテ其ノ勤学ノ労ヲ消シ、肺臓ヲ強クシテ其ノ健全ヲ助ケ、音声ヲ清クシ、発音ヲ正シ聴力ヲ疾クシ、考思ヲ蜜ニシ又能ク心情ヲ楽マシメ其ノ善性ヲ感発セシム。是レ其ノ学室ニ於ケル直接ノ功力ナリ。
然シテ社会ニ善良ナル娯楽ヲ与ヘ、自然ニ善ニ遷シ罪ニ遠カラシメ、社会ヲシテ礼文ノ域ニ進マシメ、国民揚々トシテ王徳ヲ頌シ太平ヲ楽ムモノハ其ノ社会ニ対スル間接ノ功力ナリ。


(以上、堀正三著「滝廉太郎の生涯」 P14より抜粋)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★伊田クン、本貸してくれておおきにね★


太字の部分を特に熟読・熟考されたし。

この上申書の翌年、当時の文部省はちゃんと聞き入れて『音楽伝習所設立案』を提出するんだが、まぁ今も昔もよく似たもので、財政難だとかで設立案は見送られる。しかしそのまま放置されたわけではなく、ちゃんと『音楽取調掛』設置が決定されて、日本の現行の音楽教育に西洋の音楽教育を取り入れ推進していく旨、各方面から専門家(主に海外の音楽家)を招いて着手したそうな。


爆発するから自論は控えるが、現教育の衰退と現日本人の衰退はこれに正しく言えることだと思う。


当時の文部省は、まだ今よりまともだったってことかね。時代柄、日本全体が真面目で、これから盛り上がろうと何事にも血気盛んな時代だったって事の表れであろう。

上がアホだと下はもっとアホになる。いや、ならざるを得んでしょ、天井が低いんだから。部屋が狭いんだから。


今こそ昭和に還ろうぜ、ぃや、明治まで遡ろうぜ。回帰の必要、大ありでしょ!!

副4教科って、誰が『副』にしたのかねっっっ!!!





G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。