カ・イ・ガ・ン


ヤバイ、古典に目覚めてしまいそうな気配が……


ぃや全然ヤバい訳ではないんだが、次の演奏会(七夕の節句演奏会)のイタリア部門(?)で、今回はカッチーニ特集をやる。カッチーニと言えば、言わずと知れた古典の大御所の一人だが、オレとしてはイタリア古典歌曲よりモテットやマドリガルの方で先に馴染みであった。


ところで今回、何かと色々資料集めをしたり音源を聴き比べたりするうちに、これはちょっと古典で1ステージ作りたいなと思い始めた。今年は特に、イタリア部門がほぼ古典で占められている。というのも実は、学生時代からこの方イタリア物自体あまり触れたことがなかった。師匠もイタリア物があまり好きではなかったそうで、レッスン初日に開口一番「もうイタリアやってきただろ? もういいよ。うちではやらないから」と言われた程。結局、声楽課生のバイブル(?!)@全音のイタリア歌曲集1を浪人時代にやった以外、大学1回生で同2をほんの数曲と、春秋社版アリア・アルバムからオペラアリアを経験程度に数曲。あとはドナウディ・トスティ各歌曲集の数曲をかじったのみ。入学当初から圧倒的にドイツとロシアが多かった。

中の頁はシミだらけ、表紙の端は焼けてしまって古文書状態……


今年は伊・独・露歌曲も新曲にトライさんの年。中でも伊古典はそれこそ経験程度に歌っただけだったので、新曲含め改めて勉強し直しの年である。

学生時代の歌そのもの勉強し始めの頃と違い、ある程度色んな事を得て色んな事に余裕の出てきた今(逆に、体力的には余裕なくなってきてるがそれはまぁ置いといて)、同じ曲でも新たな視点で色々見直し歌い直ししていくと、それはそれは記憶の味と違って感じる事がたくさんある。新たな旨みや渋み、それこそ乙な味というか、或いは粋な味わい方とか、色々感じてちょっとハマリ始めた。
ぃや、そもそも音楽ってのは聴く時々によって、それこそ春夏秋冬朝昼晩、天気によっても全く同じものに感じることはまずない。歌のみならず、演奏するとなると己の身体や人生がそこに加味されてくる。ヒトの身体そのものが1分1秒前の自身と同じ物ではないわけで、感の強い者にとってはそれはそれはいちいち色々感じ方も変わってくるわけである。


…あぁ、ジジィの小言くさくなったな(^^;;;;)


オレはロシア歌いやぞーなどと内心ちょっと拘ってみたりもするが、以前にも1ヶ国の歌曲に絞った演奏会をやったことはある。去年のシリーズだったか。勿論唱歌は外さんかったが、その時のイタリア歌曲もそう古典ばかりではなく、寧ろ苦手意識からか自ずと中近代が多かったと思う。


今を遡る事400年前の音楽ばかりを集めて演奏会。現代医学の最先端(?!)を駆け抜けるオレが、400年前を再現演奏する。日本は江戸時代初期。袴ちょん髷の時代に、西洋ではこんな先端を行く音楽が既に完成されていたとは、驚く限り。

そんな時代とお国柄の比較なんかも織り交ぜると、これまた面白いかも知れんな。





G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。