歌い急いだなんちゃってアスリートの一年



自分は演奏家でありそれはアスリートである。が何よりその前に病人(やみんちゅ)である。アスリートとしてやるべき事をやる前に、病人として自分の身体に合った生活や行動をすべきであり、アスリートとしてやるべき事はその次ということになる。


病気・症状というのも各々のオーダーメイドであり、一般的な情報はそこそこ参考にはなるものの、そのまま当てはめて活用出来る事はそうそうない。ましてや自分の場合は稀尽くしであり、起こる症状はまず他人の経験外か閾値を遥かに越えており、前例や参考に出来るものがない。自分の身体を都度把握しながら行動するより他ないわけである。自分の中でも、以前のデータが参考になるかというと、これがおいそれと当て嵌められないから難儀極まりない。

しかしながらもっと究極な視点で言うと、自分は演奏家でも病人でもある前に、自然の産物たる生き物そのものである。故に、演奏も普段の生活も、結果的にその時の雰囲気(environment)に抗わず、いい意味で流れに身を任せて漂いながら行うのが、一番身体にYES!である。


そして、歌は自然の産物そのものであり、自然の恵みである。

歌人として、この身体を以って歌人たるべくあらんとするならば、病人どうこうある前に常に自然と一体に在り、自然を取り込み、自然を体現すべしという事を念頭においておかねばなるまい。錬金術師に於ける大いなる作業@理解・分解・再構築である。
第一声を発する前に、まず己の脳内から己を消し、視界から世界を消し、体内の意気(息)をすべて吐き、そうすることで空になった己の中に入ってくるのは自然のみとなる。その自然を体内全体で余すことなく感じ味わい、その感覚を空になった脳に還元する。その循環がうまくいった時は、いつも音を発する直前に、眉間にこつんと指先を当てられたような感じになる。ミューズが小突いたか、そのまま眉間から何かが入ってくる感覚になり、その何かが最終的に自分の第一声に変換される。その瞬間の高揚感は得も言えず、自分にしか味わえない最高の珍味のようでもある。


昨今、特に今年は生き急いだぃゃ歌い急いだ感が大いに否めず、自分で自分を振り回してしまい大変な後悔がある。金八先生曰く、「後悔は大いにしなさい。そうすると次に繋がる」そうな。思うように身体が使えない分、形に囚われ雑みが前に出て浮き足立った演奏が多かった気がする。来年は、というか既に始動であるが、その修正を大前提に、すべてをゆったり大らかにしかし細部にまで注心し最後はすべてを忘れて気と一体化することを念頭に、初心に還ってまた演奏していきたい。


真面目に締めくくったな(o^-')b

皆様よいお年を。





G-clef

このHPは、楽器本体である身体と声を通じて、線維筋痛症で末梢神経障害で脊椎側彎症で性同一性障害の声楽家@♪こーへー♪自身に起こる希少な症状と現状を、少しでも多くの人に知ってもらいたいという思いを込めた活動記録・告知サイトです。